島田洋七 (C)週刊実話Web
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いつも変わらない『ザ・ぼんち』おさむ~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

ぼんちおさむとは、まだアルバイトをして、なんとか食いつないでいた若い頃からの付き合いです。


当時、俺は和歌山の農協の集荷場から大阪の中央市場まで野菜をトラックで運ぶバイトをしていたんです。昼間は舞台に上がったり、師匠の用事を済ませたりしないといけなかったから、夜中しかアルバイトする時間がなかった。でもね、集荷場でトマトやキュウリをもらうこともあったんです。そのことを楽屋でおさむに話すと、「エエな、それ。今からお前の家に行ってもらうわ」と、なぜか当然のように取りに来ていました。


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俺とおさむは酒が好きだから、給料日になるとよく飲みにも行った。おさむの知り合いの店で、30歳くらいの女性が1人で切り盛りしている小さな飲み屋にね。さほど年は離れていなかったけど、俺らは「姉ちゃん」と呼んでいた。売れる前だから金はない。日本酒を1本ずつ頼み、つまみは1品、カウンターに置いてあるモヤシをごま油で炒めた料理だけ。姉ちゃんの目を盗んでは、何度もモヤシ料理を菜箸で取ってお腹を満たしていた。


いざ会計になると「日本酒が2本ずつ、つまみが5皿ね」。狭い店だからしっかりバレていたんですよ。そうしたら、おさむが「今日は見なかったことにできひん?」。すると姉ちゃんは気前よく「今日は見なかったことにするわ」とお金を取らなかったんです。売れてからその店に行ったら、店は移転して大きくなり、大繁盛していましたね。


おさむは歌も得意だからスナックで弾き語りのアルバイトをしていた。隣のスナックの人から「面白い話ができるバイトはおらんか?」と聞かれ、俺が紹介された。店で面白おかしく話をすると、喜んでくれたお客さんが「売れや〜」と1000円をチップとしてくれる上に、3〜4時間店にいるだけで5000円もらえたんですよ。

やすきよさんにも『おさむちゃんで〜す』

ある日、店に大関の朝潮がタニマチの方と一緒に来た。タニマチの方も喜んでくれて、チップをくれたんですけど、終電の時間が迫り帰ろうとしたら「タクシー代は俺が出すから」と1万円もらった。その様子をどこで見ていたのか、おさむが「お前、1万円もろうたやろ。両手を上げてみ」。すると俺のポケットに手を入れ1万円札を出した。「家までタクシーで2000円くらいやろ。残りで飲むで」。安い寿司屋へ行きましたよ。

これまで、おさむには500回以上奢りましたけど、一度もご馳走になったことがないんです。それでも良いんですよ。一緒に飲みに行けば、他のお客さんを笑わせたり、立ち上がって「おさむちゃんで〜す」とギャグを始める。


舞台でも私生活でも変わらない。西川きよしさんに「おさむちゃんで〜す」と言ったら「知っとるわ」と冷静にツッコまれ、横山やすしさんにも同じようにしたら「お前、頭おかしいんか。何年も見てるやろ」と呆れられていましたね。当時の劇場にいた芸人で一番明るかったかも。


最近も電話で話すと、奢った話になるんです。「お前は払おうともせんな」と振ると、「そうしたら負けやもん」と訳の分からない言い訳をしていましたよ。でも、憎めない奴だから、みんなに好かれるんです。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。