三浦知良(C)週刊実話
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三浦知良「行くしかないもんね、先に進むしか」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第18回

プロ37年目、55歳となった今もJFLの鈴鹿ポイントゲッターズにおいて、さまざまな「最年長記録」を更新し続けている三浦知良。そんな〝キング・カズ〟の輝かしい栄光の中で唯一、縁がなかったのがワールドカップの本戦出場だ。


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日本サッカー界の〝生ける伝説〟三浦知良(以下カズ)。1993年5月15日に開幕したJリーグの成功とその後の歩みは、カズとともにあったといっても過言ではないだろう。


得点を決めた際にサンバのステップを踏む「カズダンス」は、日本におけるゴールパフォーマンスの先駆けで、そうしたカズの言動がサッカーを華やかに彩り、新しい時代を創出した。


1982年に高校を中退して15歳で単身ブラジルへ渡ったカズは、現地のクラブチームで練習を重ねた。やがて優れたテクニックを認められて、86年に念願のプロデビューを果たしている。


90年、Jリーグ発足に向けてのスター候補として、読売サッカークラブ(のちの東京ヴェルディ)にスカウトされて帰国。この当時、カズは「日本代表として94年のアメリカW杯に出場する」という壮大な目標も胸に秘めていた。


そうして迎えた93年のW杯アジア地区予選で、カズは期待された能力を遺憾なく発揮する。


1次予選では、バングラデシュ戦で4ゴールを決めるなど合計9得点。最終予選においても北朝鮮戦で2ゴール、韓国戦でも決勝のゴールを放って、地区予選突破をグッと引き寄せた。

“代表の顔”としてのプライド

そして同年10月、勝てば日本代表初の本大会出場となるイラク戦でも、カズは先制のゴールを決め、日本の1点リードでロスタイムにまでこぎ着ける。おそらく最後の攻撃になるであろうイラクのコーナーキックは、直接のセンタリングでなく、ショートコーナーからの速攻だった。


意表を突かれて日本の守備が乱れたところにセンタリングが上がると、これにイラク選手がヘディングを合わせ、ボールはふんわり放物線を描いて日本ゴールに吸い込まれていった。


このときのことをカズは、「スローモーションのように球の軌道が見えた」と話している。


同点のゴールとともに審判の笛が鳴らされると、ピッチ上の代表選手たちの多くが脱力して座り込み、動けずにいた。


しかし、そんな「ドーハの悲劇」の後も、カズは引き続き日本代表のエースとしてチームをけん引した。


4年後の97年、フランスW杯アジア1次予選のマカオ戦では、釜本邦茂に並ぶ代表戦記録の1試合6得点。最終予選のウズベキスタン戦でも4得点を記録した。


だが、この頃には30歳という年齢と度重なる故障の影響から、「動きにキレがなくなってきた」との指摘を受けることも増えていた。韓国戦では激しいマークの中で相手のヒザが臀部に入り、尾てい骨を骨折する大けがにも見舞われた。


カズは明らかに調子を落としていた。それでも代表戦において先発し続けたのは、日本サッカー協会やテレビ制作サイドの「視聴率対策」といった思惑もあっただろうか。


また、カズ自身にも「代表の顔」としてのプライドや責任感があったに違いなく、強行出場を続けた。しかし、カズの不調に合わせるように代表チームは成績を落としていく。

メンバーから落選した“ニヨン”

10月26日のアラブ首長国連邦(UAE)戦に引き分けて自力でのプレーオフ進出がなくなると、国立競技場に集まったサポーターが選手の乗ったバスを取り囲み、空き缶やらゴミやらを投げ付ける事態となった。


このときカズは1人でバスを出て、フーリガンと化したサポーターたちに抗議をしている。それほど代表への思いは強かった。カズは合同練習などにおいても多少の故障など素知らぬふりで、先頭に立ってランニングなどをこなしていた。


その後、カザフスタンに勝利してプレーオフに進出した日本代表は、これに勝ってフランスW杯への出場を決めたのだが、98年6月2日、メンバー発表の席で岡田武史代表監督の口から出た言葉は、カズにとって衝撃的なものとなった。


「(代表から)外れるのは市川(大祐)。カズ、三浦カズ。それから北澤(豪)。この3選手です」


代表合宿が行われていたスイスのニヨンでは、地元チームとの練習試合でハットトリックを決めるなど、故障からの復調を実感していただけに、なおさらカズのショックは大きかった。


それでも帰国したカズは、会見で愚痴などを漏らすことは一切なく、「自分たちの、サッカーの日本代表としての誇りと魂は、向こうに置いてきたと思っているので、頑張ってもらいたいです」と語った。そして、一緒に日の丸を背負って戦ってきた仲間たちに、「自分の分まで戦ってほしい」との思いを託した。


のちに出演したテレビ番組で、カズは当時の心境を振り返って「あの状況はキツいよね」としながらも、「行くしかないもんね。先に進むしか」と語っている。


そして55歳になった今もなお、カズは現役選手として戦い続けている。