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中森明菜“復活”は真実!? マネジャーとも連絡つかず関係者も困惑「寝耳に水」

中森明菜
中森明菜 (C)週刊実話Web

いよいよ復活か。約5年間、活動休止状態が続いている中森明菜が、8月30日にツイッターを開設し、新たな個人事務所の設立を報告した。

《長い間、ご心配をおかけしており申し訳ありません。ほんの少しですが、体調が良くなってきましたので、この度、お手紙を書かせていただこうと思いました。(中略)ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思いますので、どうか見守っていただけると嬉しいです》

突然の明菜の身辺報告に、一部関係者から「手の込んだなりすまし?」といった訝しがる声も上がった。所属レコード会社ユニバーサルミュージックの関係者も「まったく寝耳に水。何も聞いてません」と状況を把握していない様子。

「マネジャーのK氏からの連絡もありません。新たに個人事務所を作った話が事実なら、K氏と別れたのかもしれません。それにしてもユニバーサルミュージックと連携を取らないと復帰は難しいですよ」(同)

いったい彼女に何が…

明菜は1982年に歌手デビュー。日本レコード大賞を2年連続受賞、トップ歌手に上り詰めた。その歌姫が躓いたのは89年7月。恋人だった近藤真彦と痴話ゲンカの末、近藤の自宅で自殺未遂を図ったのだ。

「近藤が母と慕っていたジャニーズ事務所のメリー喜多川さん(故人)は、いち早く病院に駆けつけた。そして、明菜に〝あなたは所属事務所から搾取されている〟と吹き込んだ。メリーさんの言葉を信じた明菜は退院後、所属事務所から独立したんです。同年の大みそか、都内のホテルで記者会見に臨んだ明菜は、てっきり近藤との婚約発表と勘違いした。集まったマスコミも同じように思っていたら、一連の騒動の謝罪会見…。明菜にすれば近藤、メリーさんにも裏切られたようなもの」(芸能ライター)

以降の明菜は、家族を含め人間不信に陥ったといわれる。そんな明菜の前に現れたのが、年下のマネジャーのK氏だった。

「K氏は朴訥な男で明菜に尽くした。彼女も信頼してK氏と事務所を作ったんです」(同)

2010年、明菜は帯状疱疹を患って無期限の活動休止を発表。14年に復帰し、同年大みそかのNHK紅白歌合戦にサプライズゲストとして出演した。そして、17年のディナーショーを最後に、公の場に姿を見せていない。

今年デビュー40周年を迎えた明菜に、NHKの紅白出場交渉情報が流れた矢先のツイッター報告。

「所属のユニバーサルは、何も聞かされていない。マネジャーのK氏とも連絡がつかない。各スポーツ紙もツイッターの信ぴょう性に疑心暗鬼になっている」(スポーツ紙記者)

ホンモノの明菜が見たい。

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