島田陽子さん (C)週刊実話Web
島田陽子さん (C)週刊実話Web

島田陽子さん波乱万丈…国際女優からMUTEKI女優まで“壮絶人生”69年!

「あのとき、予定通りジュディ・オングがヒロインを務めていたら、彼女の〝波乱の人生〟はなかったと思います」(芸能関係者)


去る7月25日、大腸がんによる多臓器不全のため都内の病院で亡くなった女優の島田陽子さん(享年69)は、8月に入ってようやく荼毘に付されたという。


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「2人の妹が、ご遺体の引き受けを断ったからです。遺骨は、島田さんが亡くなった際に病室にいたマネジャーに渡され、現在、自宅に母親の遺骨(2020年死去)と並んで安置されているようです」(芸能ライター・小松立志氏)


さて、島田陽子さん(1953年5月17日生まれ)は熊本県の出身。高校3年のとき、1万2000人以上の公募を勝ち抜きNET(現・テレビ朝日)系ドラマ『続・氷点』にヒロイン役として出演。一気に大ブレークした。


「今のドラマでは、とうてい考えられませんが、最終回の視聴率は42.7%を記録しました。その後、中村雅俊主演の青春学園ドラマ『われら青春!』(74年・日本テレビ系)でヒロインのマドンナ女性教師を演じると、若い世代の間でも人気が広がりました」(テレビ局関係者)


そして、女優として最も評価されたのが、日本では映画として公開されたアメリカ・NBC制作のテレビドラマ『将軍 SHOGUN』(80年)のヒロイン・まり子役だった。


「日本史で〝絶世の美女〟といわれた細川ガラシャをモチーフにした役どころで、その美貌と流暢な英語で全米の視聴者を魅了したのです」(プロダクション関係者)


実はこの役、当初の予定では冒頭のコメントのようにジュディ・オングが演じるはずだった。


「でもこの頃、『魅せられて』が大ヒット。歌手活動が忙しくなって、キャンセルせざるを得なくなってしまったのです。ジュディは今でも〝タイミングの悪さ〟を悔やんでいます」(音楽関係者)


反対に〝運〟をつかんだのが島田さんだった。


「とはいえ、決して偶然ではありません。映画『砂の器』や『犬神家の一族』、連ドラ『白い巨塔』(フジテレビ系)などで見せた存在感のある演技や英語力が買われて製作陣によるテストに合格。世界へ羽ばたいて行ったのです」(前出・小松氏)


5夜連続で放送されたドラマは〝ショーグン現象〟と呼ばれるほどアメリカ全土のリビング(お茶の間)を席巻。全米視聴率は平均32.6%。第3話には最高の36.9%を叩き出した。

“全米の恋人”と呼ばれてカン違い!?

「これは当時の『ミニシリーズ』ドラマとしては、77年に大ヒットした『ルーツ』に次ぐ2位の数字でした。〝将軍の放送時間帯は飲食店の客が減る〟という逸話が残ったほど。この大ブームによって、寿司をはじめとする日本食が米国に広まっていったとされています」(前出のテレビ局関係者)

このドラマの大ヒットで島田さんは〝全米の恋人〟と呼ばれるようになった。さらに、同作では米アカデミー賞の前哨戦といわれるゴールデングローブ賞で主演女優賞を受賞した。


以降、〝国際女優〟と呼ばれ、翌81年には日系米国人マラソンランナーの故・ゴーマン美智子さんの自伝『走れ!ミキ』を映画化した『リトルチャンピオン』に主演した。


「当時、彼女の『将軍』の出演料は推定2500万円と伝えられました。出演後は全米で最も知られる日本人女優となり、ロサンゼルス・タイムズ『1980年に活躍したスター10人』にもリチャード・ギアらとともに選出されました」(女性誌記者)


当然、ギャラも急上昇。


「化粧品のテレビCM出演料は1億6000万円。映画出演料は6000万円~1億円といわれました。これで、ちょっとカン違いしてしまったようです」(大手広告代理店関係者)


〝国際女優〟の肩書を維持するためなのか、仕事は選ぶ、やりたくないことはしない、生活は派手…。


「結果、借金まみれ。最大2億円超えといわれたものでした。83年、撮影中だったNHK大河ドラマ『山河燃ゆ』のイベントを無断で〝ドタキャン〟したこともありました」(前出の女性誌記者)


またその頃、島田さんが愛車のジャガーのハンドルを握って猛スピードで走り去る場面は、芸能マスコミにとって〝おなじみ〟の光景だった。


「でも、無免許だったんです」(同・記者)


不都合なことには口をつぐみつつ、どんなに追い込まれているように見えても持論を展開。非を認めないところがあった。だから、期限切れの国際免許で運転していたと報じられても、「教習所に通ったけど取得できなかった(だからいいじゃないの)」と開き直っていた。


「昨年、会社社長が借金踏み倒しを、マスコミを通じて告発した際も、この社長の催促メールに〝心不全で倒れ、運ばれました。一命はとりとめました〟などと言い訳を繰り返し、『のれんに腕押し』と報じられたこともありました」(芸能リポーター)

内田裕也との“不倫関係”が話題に…

それでも、いくつになってもスポンサーになるような相手を見つける魅力・魔力が備わっていた。

「日給100万円で銀座の高級クラブの〝1日ママ〟になったことも。50万部超のベストセラーとなった92年のフルオープン写真集『Kir Royal(キール・ロワイヤル)』でも話題を集め、11年には何と御年57歳で芸能人専門レーベル『MUTEKI』から〝デビュー〟も果たしました。スポンサーをも、たちまち〝虜〟にしてしまうほどの〝持ち主〟とウワサされましたが、われわれには『砂の器』の中で加藤剛との絡みで魅せた〝ロワイヤルな豊満〟が忘れられません」(ベテラン映画ライター)


男関係では、内田裕也との〝不倫〟でワイドショーを賑わせた。


「『将軍』後、ある映画で共演したショーケン(萩原健一)から、〝陽子ちゃん、何人のトウモロコシ食べたの?〟と聞かれたことがあったそうです。トウモロコシって〝金髪男性〟のことなんですけど、彼女は〝洋モノ〟には興味がなかったそうです」(前出の芸能リポーター)


内田とは88年の映画『花園の迷宮』で共演したのがきっかけだった。


「〝相性〟が良かったんでしょうが、別れる別れないで、いつもケンカ。〝刃傷沙汰〟になったこともありました」(同・リポーター)


2人は4年間ほど不倫関係にあったが、内田は島田さんと結婚しようと、妻で女優の樹木希林に離婚を申し入れたことも。


「もちろん、希林さんは拒否。内田が離婚届を役所に提出したのに対し、希林さん側が離婚無効の訴訟を起こして勝訴。離婚は成立せず、結局、内田とは結婚できませんでした」(前出・小松氏)


96年、島田さんはテレビの照明技術者と結婚したが、19年7月、離婚している。


「破局後も、島田さんと内田の〝友人関係〟は続きました。彼女は、内田の〝ピュアなところ〟をとても評価して慕っていました。それにしても、ジェットコースターのような人生でした」(前出の芸能関係者)


尚、9月27日に『お別れの会』が都内で開かれる予定だという。