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売れない頃から毎回奢っている『ザ・ぼんち』おさむ~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

ザ・ぼんちのおさむは、吉本の中で一番仲の良い芸人で、売れない頃から毎回奢っていました。

漫才ブームの前、なんばグランド花月の舞台に上がりながらアルバイトをしていた頃、俺はすでに結婚して子供がいたんです。でも、芸人仲間にはそのことを内緒にしていた。おさむが家に遊びに来る度、「洋七は子供おったんか?」と聞くから「近所の子を預かってんねん」と隠していた。

当時、住吉大社の近くに住んでいて、夏に開催される祭りにおさむら芸人仲間と遊びに行くことになったんです。祭りの前に、家に来たおさむがまた子供のことを聞く。いつものように「近所の子供を預かってんねん」。祭りが終わり、その日はおさむが家に泊まることになった。夜になっても家にいる子供を見て、「お前はどんだけ預かっとんねん。絶対にお前の子やろ」。「うちの娘や」と初めて芸人仲間に子供がいることを明かしたんですよ。

結婚と子供ができたことは、師匠にも報告していなかった。まだ弟子になったばかりで「売れてもいないのに」と言われかねないですからね。

洋八とコンビを組んで1年も経たない頃、読売テレビの『上方お笑い大賞』で銀賞を受賞した。事前に番組プロデューサーから「番組で(子供のことを)師匠に報告すれば、怒らんやろ」とアドバイスされた。そして、番組が始まり司会の方が「B&Bの師匠、島田洋之介・今喜多代さんに登場して頂きましょう」と紹介。登場した師匠からは「まだ1年も経たないのに、こんな賞を頂いて良かったな」と褒めてもらった。

“おめでとう”の代わりに“飲もう”!

続けて、司会の方が「ここで島田洋之介・今喜多代師匠に、今日は会って頂きたい方がいます」と振ると、娘を抱いた嫁さんが出てきたんです。師匠はキョトンとしていましたよ。「実は僕は結婚しておりまして、子供も生まれました」と告白すると、喜多代師匠は涙を流して娘を抱いてくれましたね。洋之介師匠も「これから売れなあかんから言いにくかったんやろ。俺らは反対したりせえへんで」と優しい言葉を掛けてくれました。

後日談で喜多代師匠は、洋之介師匠の「隠し子かと思った」と言ってましたね。賞金10万円と盾を頂き、師匠たちの楽屋へ行き、「すみませんでした」と謝罪すると、「これで嫁さんと子供に何か買ってあげ」と10万円のご祝儀をもらった。そして、師匠を見送り、俺らも着替えて楽屋を出ようとすると、そこにいたのが、おさむだった。

「お前すごいな。銀賞をもらって。10万円もろうてたやろ。洋八と2人で分けても5万円ずつや。飲みに行くで」

「ちょっと待て。嫁さんに渡すねん」

それでも飲みに行こうとしつこく誘うから、嫁さんから1万円だけ渡され飲みに行ったんです。「今日は相当飲めるな」とおさむ。「賞をもらったら、普通は『おめでとう』とか言うやろ。ずっと見ていて今日は飲めるなってなんやねん」。

その後、漫才ブームでお互い売れましたが、今でも毎回奢ってますよ。これまでに500回以上になるかな。それでも一緒に飲みに行けば、笑わせてくれる。憎めない友達なんです。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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