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『昭和猟奇事件大捜査線』第23回「長女を残して殺された悲劇の未亡人 不倫相手の犯行か?」~ノンフィクションライター・小野一光

Elena Elisseeva
(画像)Elena Elisseeva/Shutterstock

その事件が発生したのは、昭和30年代の春のこと。

近畿地方某県にあるハイキングロードを散策中の男性が、茂みの奥の急な勾配で、人形のようなものを見つけたことで発覚する。

「女の人が、××谷で死んでいます」

I県警は、男性が駆け込んだ駐在所からの連絡を受け、すぐに所轄署と県警本部から捜査員を派遣した。

オーバーコートの下にピンク色のブラウス、黒地に格子柄のスカートを穿いたその死体は、谷間の傾斜面で頭を下に、足を上にした仰向けの姿勢で倒れていた。

年齢は30歳くらい。化粧がきちんと施され、整った顔立ちが、恐怖で歪んだまま固まっているのが見てとれる。ブラウスの胸部は血で染まり、右顔面の目尻部分に長さ約3センチの切り傷があることから、彼女が刃物のようなもので切りつけられたのは明らかだった。

すぐに現場周辺での採証活動が行われ、以下の物品が発見された。

①腕時計(腕にはめていたものを強い力で引かれて落ちたと見られ、バンドが付け根から3分の1くらい伸びている)
②木製折尺
③清酒用4号瓶
④ジュース空瓶
⑤弁当包紙
⑥小刀の柄口(死体の着衣内部より発見したもので、使用凶器の柄口と推定される)

さらに被害者の左耳には、小豆大の真珠2個入り銀台の耳飾りがつけられていたが、右耳にはそれが認められないため、後日、陸上自衛隊××部施設大隊の協力を得て、地雷探知機を使って現場周辺一帯を捜索。同耳飾りと同一系統と見られる銀台に真珠2個のついたブローチと、万年筆キャップ1個を発見、押収した。

こうした採証活動と並行して行われた司法解剖の結果、顔面、頭部、胸部に数多くの刃物による創傷が認められ、死因はこれらを原因とする失血死と断定された。なお、姦淫の痕跡は認められず、凶器は長さ10センチ前後、幅1〜2センチくらいの片刃の鋭利な刃物と推定され、解剖当日から見て、死後経過3日ないし4日ということだった。

中学校担任の教師との関係…

すぐに所轄のO署に捜査本部が設置され、次の捜査方針が樹立される。

○被害者の身許捜査
㋑被害者着用の衣類よりの捜査
㋺被害者着用の白ビニール靴よりの捜査
㋩被害者の真珠入り銀台耳飾りよりの捜査
㋥被害者の義歯について歯科医関係の捜査
㋭家出人、行方不明者について捜査
㋬会社、工場、事業場、派遣看護婦会、派出婦会について捜査
㋣競輪、競馬、競艇場について捜査
㋠飲食店、美容院等について捜査

○犯人遺留の腕時計について捜査
○凶器について捜査
○現場付近の聞き込み(足取りを含む)捜査

そして、死体発見より約3週間が経った頃、J県警本部鑑識課より、死体発見3日前に家出したとされるJ市の装身具販売業・種田万里子(仮名、以下同)という35歳の女性が、手配の被害者に似ているとの連絡が入った。

万里子は未亡人で、J市において長女の種田幸子(13)とその祖父である種田健一(73)とともに暮らしていたが、仕事のため外出後に、突如として行方が分からなくなったという。

そこで捜査本部では、ただちに捜査員をJ市内のT警察署に派遣。幸子と健一に被害者の衣類や履物、耳飾りなどを確認させたところ、本人のものに間違いないとの証言を得たため、その後の確認作業により、死体は種田万里子であるとの断定に至ったのだった。

万里子の身辺を捜査したところ、夫を亡くしてからの彼女は、その美貌に言い寄って来る者が多く、男関係が後を絶たなかったことが判明する。

さらに最近は、長女・幸子の通う中学校の担任である隈本真吾(27)と不倫関係にあることが分かった。そのことは幸子も気づいており、事情を聴く捜査員に対して次のように明かす。

「お母さんは仕事に行ってくるとメモを残して家を出て、それから帰ってこなくなりましたけど、実はその3日前に、隈本先生がうちに来ていて、『今度××(死体発見場所の地名)に行く』って話していたのを聞いています」

そこで捜査の主力を、隈本真吾の行動内偵に置くことになった。

特に捜査員が関心を持ったのは、現場で発見された腕時計について。男物であり、バンドが伸びている状態のため、犯行時に被害者からの抵抗を受け、被疑者が現場に落とした可能性が疑われたのである。

隈本には妻がおり、やはりJ市内の中学校で教師を務めていたことから、捜査員は証拠品の腕時計を提示して、彼女に尋問を行った。だが、妻は言う。

「夫の時計に似ているが、彼は現在もその時計を持っています」

翌朝一番に自ら捜査員の元へ…

妻から決定的な証言が得られないため、捜査本部では会議が行われ、隈本本人に対して、別件で事情を聴くことが決められた。

内偵によって、隈本は学校での勤務の他に、家庭教師のアルバイトをやっていることをつかんでいる。その帰り道で隈本に対し、I県内で発生した強盗事件の捜査だと偽って、職務質問を行ったのである。

「この腕時計は、前に持っていた腕時計を紛失したから、先月P県の百貨店で2800円で買いました」

別の事件の捜査だと思い込んでいる隈本は、つい口を滑らせて、そのように説明した。

だがその夜、自宅に帰って妻から警察が職場に腕時計を持ってやって来たことを聞いた隈本は、焦りから思いがけない行動に出る。

妻を尋問した捜査員のもとへ、翌朝一番で出向いた彼は、自ら次のように説明を始めたのだ。

「昨日妻に見せられた腕時計は私のものです。先月中旬に勤務先の中学校の職員室で盗まれたんです」

だがそれは、捜査員にとって、彼の容疑をますます濃厚にする発言だった。

「これ以上逮捕を延ばしたら、隈本は証拠隠滅に走るかもしれない。その前に身柄を押さえるぞ」

その日のうちに逮捕状の発付を得た捜査本部は、隈本を逮捕し、家宅捜索を行うことにしたのである。

「法的根拠はあるのか?」

逮捕時に隈本はそう声を上げたという。さらに捜査本部に身柄を移されてからも、「至急、弁護士に連絡してもらいたい」と言ったきり口をつぐむ。

一方、家宅捜索は隈本家、被害者宅、職場の中学校の3カ所に対して行われた。そのなかで、隈本家で押収されたこげ茶色の背広上下にルミノール反応検査を行ったところ、顕著なる血液反応が認められたのだった。

「自分は無罪である。事件当時は間違いなくJ市にいた。証人もいる」

取調官に向かってそううそぶく隈本だったが、次々と証拠を突きつけられ、次第に旗色が悪くなってきた。やがて彼は口を開く。

「種田万里子が無理心中を図り、ナイフで突きかかってきたので、やむなくそのナイフを奪い取ったところ、さらにつかみかかってきたので、これを防いでいて、誤って彼女を刺してしまったんです」

「無我夢中で刺していました」

隈本が説明する正当防衛を真に受ける取調官はいない。犯行現場の状況、被害者の創傷部位、程度などの矛盾を次々と追及され、ついには自供に至った。

「万里子とは昨年末から不倫の交際を始め、肉体関係にありました。ただ、今年の春ごろから、勝ち気で嫉妬心の強い彼女から、妻と別居するように迫られ、困っていたんです…」

隈本は万里子との別れを考えるようになっていたと、説明する。

「犯行前夜に密会した際、万里子から××(犯行場所)での逢引きを誘われ、そこで別れ話をしようと決意して承諾しました」

当日午後6時に隈本と万里子は××を散策。その場で隈本は別れ話を切り出したそうだ。

「万里子は『絶対に嫌だ』と譲りませんでした。それどころか、『ふたりの関係を世間に公表して、あんたの家庭をめちゃくちゃにしてやる。学校にもいられなくしてやる』とわめき立てるんです。それで…」

隈本は家庭教師先から持ち出していた、刃渡り10センチのあいくちを取り出した。

「それで彼女を脅そうとしたんですが、まったく怯むことなく向かってくるので、無我夢中で刺していました。ひどいことをしているのは分かっていましたが、そうしないとどうしようもないと思い込んでいて…」

隈本はそこまでを語ると、頭を抱えて泣き出した。だが、実際には現場での彼は、証拠隠滅を企んでいる。

万里子が所持していた魔法瓶、それにサングラス、万年筆、現金500円在中の二つ折り財布などを収めた白ビニール手提げをその場から持ち出すと、まず凶器のあいくちを現場から500メートル離れた草むらに投げ捨てた。さらに魔法瓶を××駅から400メートル上方の渓流に投棄。その他の品物も、O市の溝や道路傍に分散して捨てていたのである。それは自己保身のための行動以外の、何ものでもなかった。

小野一光(おの・いっこう)
福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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