はやぶさ (C)週刊実話Web
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『令和の“応演歌”』はやぶさ~ストリートライブで見知らぬ人からの差し入れに感動(前編)

――昨年、デビュー10周年を迎えたはやぶささん。どのような経緯でグループ結成からデビューに至ったのですか?


ヒカル 幼い頃から僕は演歌を、ヤマトはムード歌謡を聴いて育ち、2人とも歌手を目指していました。でも、僕はカラオケ大会で優勝したり、オーディションを受けても演歌歌手への道がなかなか開けませんでした。そんな時に知り合いの作曲家さんから、現在の所属事務所を紹介され、オーディションを受けることになりました。事務所は当時珍しかった演歌、歌謡のグループを作ろうとしていました。紹介されたのが既にレッスン生として所属していた高校生のヤマトだったんですよ。デビューまで半年もない準備期間を経て、当初は3人組(2018年にメンバーの1人が芸能界を引退)で、2012年『ヨコハマ横恋慕』でデビューしました。


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――初対面の第一印象を覚えていますか?


ヒカル 僕は24歳で、ヤマトはまだ18歳。まず見た目が若いなと。また、挨拶した時の声が素晴らしく、歌が上手なんだろうなと思いましたね。


ヤマト 事前に6つ年上としか聞いてなくて、写真も見たことがなかったんです。兄より年上なのでどんな人が来るのかと待っていると、僕より体の体積が小さい人が現れましたね(笑)。

誰も立ち止まってくれない…

――年齢も違う初対面の2人が打ち解けた瞬間はあったんですか?

ヒカル デビューが正式に決まり、全国各地に挨拶回りに行った時です。移動中に初めてゆっくりと話をしていると、お互いに二葉百合子さんの『岸壁の母』に深く感動したことが分かったんです。幼い頃から演歌や歌謡曲が好きでしたが、初めて同じ曲が好きな人と出会いました。


ヤマト 僕も同じで歌謡曲を知っている同級生がいなかったので、半ば諦めていました。子供の時の話し相手は、もっぱら祖父母や学校の校長先生だった。初めて話が通じる人と出会ったのは嬉しかったですね。


――準備期間が短く、順調にデビューとなったのでしょうか?


ヒカル 事務所には演歌、歌謡の大御所の先輩がたくさんいるため、デビュー前に満員の横浜アリーナで開かれた事務所主催のコンサートイベントに出演させて頂きました。その時にスタッフさんから「先輩方のお客さんであって、はやぶさのお客さんではないよ。まずは自分たちのお客さんを増やすため、ストリートライブをやってみよう」と提案されました。3人で機材を持って、一番最初は横浜の桜木町で歌ったんです。1人や2人は立ち止まってくれるかなと思っていたのですが、最初は誰も立ち止まってくれない。チラシを配ったり、スタッフさんからのアドバイスもあり、私服ではなく、目立つ白い衣装で歌うなどしているうちに、少しずつ立ち止まってくれる方が増えていきました。今でも印象に残っているのは「お腹が空いただろうから食べな。頑張れ」と見知らぬ方が牛丼を差し入れてくれたことですね。


ヤマト スナックへ飛び込みで営業したこともありました。その経験があるからこそ、どこでも歌える度胸がつきましたね。


ヒカル デビューから2〜3年目までは、そういう活動もしていましたね。(以下、後編へ続く)
はやぶさ ヒカル(写真右)とヤマトからなる歌謡グループ。2012年2月『ヨコハマ横恋慕』でデビュー。22年9月7日、ヒカルは大滝ひかる名義で『あの日の花吹雪』でソロデビュー。9月18日にはホテルプラザ勝川で『はやぶさ・青山新 Lunch&Dinner Show』開催。