(画像)Yoshihide KIMURA/Shutterstock
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『昭和猟奇事件大捜査線』第22回「現場から消えた強盗強姦殺人犯はいったい何人殺したのか?」~ノンフィクションライター・小野一光

その事件はまず、昭和20年代の夏の盛りに、関東地方某県で発生した――。


S郡の住宅地で雑貨商を営む米山サタ(仮名、以下同)は、隣接する岩永家で、乳飲み子が泣き続けるため、不審を抱いた。


いつもは母親の岩永元子(26)がいるため、ここまで赤児が泣き続けることはない。そこでサタは、夫の耕三に知らせて、夫婦で様子を見に行くことにしたのだった。


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平屋である岩永家の玄関は施錠されていないため、サタと耕三は、「元子さーん、米山だけど、いないの?」と呼びかけながら、室内に入っていく。


「きゃーっ!」


声を上げたのはサタだった。土間から上がった6畳間の中央に敷かれた布団の上で、元子が仰向けで下半身を露出し、大の字になって死んでいるのだ。


夫婦は驚いて付近の家の人に状況を伝えると、近くにある真田医院の真田院長を呼んできた。


だが、やってきた真田院長は、他殺の状況が歴然としているため、耕三に警察へ連絡するように告げ、彼は所轄のP警察署に届け出たのだった。


すぐに捜査員が駆け付け、現場検証が始まる。元子の死体の首には、さらしを切ってひも状にしたものが3重に巻き付けられており、前部で固く緊縛されていた。スカートは胸のあたりまでたくし上げられており、下腹部より下は露出。陰部には幼児用の枕が押しつけられ、これを取り除くと、陰部に精液が付着しているのが見てとれた。


室内のたんすは、その引き出しがすべて引き出されており、中にあったと思われる衣類や毛糸、雑品などのすべてが室内に散乱している。


家にあった自転車や夫の羽織、着物類が盗まれており、強盗強姦殺人であることは明らかだ。


すぐにP署には捜査本部が開設され、徹底した捜査が行われることになった。

第2の事件が起こる

被害者の元子は夫の三郎(30)と長女の千登勢(1)との3人暮らし。三郎の父である洋平(72)とは折り合いが悪く、別居をしている。また、三郎は宗教にのめり込み、事件の前夜から教団の集まりで東京に行き、自宅には不在であった。

元子の前夜の行動は、午後8時ごろに銭湯へ行った帰りに、近所の実母宅に立ち寄って20分ほど会話。その後、近所にある姉の嫁ぎ先に立ち寄り、母乳が出ないため、姉の母乳を子供に飲ませてもらっている。


そのまま元子は姉宅で晩御飯をごちそうになり、午後9時半ごろにそこを出て、自宅に帰っていたことが分かっていた。


そこで捜査本部は次の捜査方針を立てた。


○痴情、怨恨関係の捜査


○被害者中心の捜査


○前科者、痴漢等の手口面から見た犯人の物色


○足取り捜査(容疑人物、押し売り、浮浪者、等の立ち回り)


○付近不良青少年の内偵


○遺留品の捜査


○ぞう品捜査(古物商、質屋、自転車店等に対する捜査。品触れの作成配布。付近の遺棄遺留の有無捜査)


○その他、現場中心の聞き込み捜査


こうして捜査が始まるも、捜査線上に浮かんだ容疑者はいずれもシロとの結果が出て、捜査は難航する。事件発覚から4カ月後に、自宅から盗まれた自転車が隣県の用水路で発見されるが、犯人に繋がる情報は集まらずにいた。


そんな折、第2の事件が起きるのだ。


元子が殺害されて5カ月後、翌年になってのことである。関東地方某県D市で、その事件は発覚した。一軒家の中で、田中トシ(63)と彼女の姪である田中聡美(24)が死んでいるのを、隣人の木村留美(35)が見つけたのである。


現場はD市内の住宅地。2つに仕切られた3畳の手前側で聡美が、奥でトシがともに首を絞められて殺害されており、両者とも首には、ひもが多重に巻き付けられていた。そのうえトシの腹部は、刃物のようなもので刺されている。


聡美は着用していたズボンの前部が刃物で切り裂かれ、両足を八の字に広げて陰部が露出しており、一見して強姦されたと認められる状況にあった。


現場からは衣類や布団カバー、帯やゴム靴などが持ち去られていることから、強盗強姦殺人での本格的な捜査が始められた。

否認を続けるまま送致

その折、他県で任官している向井道夫という巡査が、L署に置かれた捜査本部を訪ねてきて言う。

「私の実兄で、D市に住んでいる向井秀樹の家に同居している日高熊夫(26)という男が、最近、ぞう品と見られるものを持ち込んでおり、どこかに高飛びするのではないかという情報があるんです」


トシと聡美の元からも物品が持ち出されていることから、直接本件とは関係なくとも、何か手掛かりを得られるのではないかと考えた捜査本部は、日高のいる向井秀樹宅を家宅捜索することにした。


捜査員が午後6時に向井家に到着した際、日高は同家の押入れ内で就寝中であった。そこで彼を起こしたところ、その場で聡美が使用していたものと同じ布団カバーが発見された。さらに、日高の寝ていた敷布団の下から、凶器である出刃包丁も見つかったことから、彼を緊急逮捕し、身柄を確保したのである。


日高は取り調べに際し、D市の田中家を含む19件の窃盗事件は自供したが、田中トシの殺人、聡美の強姦殺人については頑として口を割らない。


そのため、日高が否認を続けるまま、強盗強姦殺人容疑について送致することとなった。


その後も日高への取り調べは続き、逮捕から12日目に彼は、「D市の強殺事件は俺がやったものだ」と口にする。しかし、そう話したのはその1回きりで、以降は前と変わらず口をつぐむ。


そんなとき、留置中の日高が寝言で「××方面で人を殺した」と洩らしたのを看守が耳にしたことから、県警本部で、「××方面」に該当する地域での、手口が類似する事件について、検討が始まったのである。


そこで持ち上がったのが、前年に発生したS郡での強盗強姦殺人事件だった。


県警本部は同事件の捜査本部が置かれるP署を所管にする、某県警本部に連絡。事件で採取されていた現場指紋の提供を受けた。


連絡を受けたP署の捜査本部は、すぐに捜査員をD署に派遣し、留置中の日高を取り調べると共に、彼の指紋と現場遺留指紋について、国警本部鑑識課に再照合の依頼をした。

すでに指紋は合致していたが…

日高の当時の足取りを洗ってみたところ、彼がその頃、S郡に近い場所に行っていたことが判明する。しかも、彼がその当時、一緒にいた人物に対して、以下のことを口にしていたことが明らかになったのだ。

「××のほうに行った。そのとき友人と会い、カネを貸せと言うので、都合して貸してやった。友人が風呂敷に包んだ衣類をくれた。その衣類を持って歩いている途中、神社で昼寝をしたら、寝すぎて目を覚ましたら夕方だった。そこで巡査に調べられたので、『ウソ』を言って逃げてきた」


すでに国警本部鑑識課に照合を依頼した指紋は、「合致」との結果が出ていた。さらに、日高本人が取り調べのなかで、殺人こそ認めないものの、「S郡の事件は俺に責任がある」との自供をしていたため、彼の身柄は某県のP署に移監されることになった。


時を同じくして、前述の日高の発言を裏付けるように、警察官の職務質問中に逃げ出した男がその場に残していった、風呂敷に包まれた衣類が、別の県の警察署に保管されていることが判明する。それこそが、S郡の事件で盗まれた元子の夫の着物だったのだ。


こうして、元子に対する強盗強姦殺人の犯行が、日高によるものであることが、明らかになったのである。


日高に対しては、間もなく、この3件の強盗(うち2人は強姦含む)殺人によって、一審では死刑の判決が下される。だが、そこで控訴した彼は、さらに新たな殺人を告白するのだった。


最初に日高が明かしたのは、第2の事件の5年前に、東海地方某県で内縁関係にあった、山内志乃を殺害したというもの。


「他の女との関係で口論になり、足許にあった石で志乃の頭部を強打して殺害し、付近の海岸にある小屋の近くにシャベルで埋めた」


そこで山内志乃について捜査したところ、確かに彼女は、家出して所在不明となっているのだった。


後日、彼が供述した通りの場所から白骨が発見され、歯型によって、確かに志乃の遺体だと確認されたのである。


その後も日高は次々と、3人の女性を殺害したことを告白。彼が挙げた3人の女性は、ともに年齢は24歳くらいだという。


内訳は、次の通り。


○闇商売で知り合った未亡人の女


○闇屋時代に内縁関係にあった女


○職業不詳の女


だが入念な捜査の末、実際に存在が確認され、死体が発見されたのは、志乃までだとされた。つまり、彼の殺人が証明されたのは、4人ということだ。


そうした結果について捜査員は、死刑確定を恐れた日高が、追加の捜査で裁判を引き延ばすため、ありもしない虚偽の供述をしたのではないかと見ている。
小野一光(おの・いっこう) 福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。