(画像)Krakenimages.com/Shutterstock
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芸能界“史上最大のバトル”ミッチー・サッチー騒動が現代に残した教訓

ロンドンブーツ1号・2号の田村淳と木下優樹菜が、YouTubeの番組出演をめぐって「バトル」になっていたが、過去には芸能人同士のバトルが連日ワイドショーやスポーツ紙を賑わすほどの大騒動に発展したケースもある。


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「1999年から2001年にわたって繰り広げられた〝ミッチー・サッチー騒動〟です。阪神の野村克也元監督夫人の沙知代さん(享年85)と、女剣劇のスターだった浅香光代さん(享年92)が誹謗中傷合戦を繰り広げ、他の芸能人も巻き込んで業界を二分する大バトルになりました」(スポーツ紙記者)


もともとは浅香の夫・世志凡太と野村監督が友人で、2人の夫人同士も仲がよかったというが、98年に上演された『ミッチーとサッチーのウルトラ熟女対決』と銘打った舞台での共演でトラブルが発生。


「ミッチーが企画した舞台でしたが、サッチーが高額なギャラを要求したり、稽古に遅れてきたりとやりたい放題だったそうです。そこで、4歳年上のミッチーが『何様のつもりだい』と激怒したんです」(同・記者)


当時の沙知代さんは〝毒舌キャラ〟のタレントとして人気がピークを迎えていた。96年には新進党から衆院選に立候補し、落選したものの「繰り上げ当選」の可能性を残すなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。一方の浅香は、沙知代さんやデヴィ夫人が巻き起こした〝毒舌熟女ブーム〟に乗った格好でテレビ出演が増えていたため、沙知代さんが「売名行為」と斬って捨てたのだ。

サッチーの逮捕で幕

「すると、サッチーに煮え湯を飲まされていた元フィギュアスケート選手でタレントの渡部絵美やデヴィ夫人、神田うの、十勝花子らも沙知代さんに対する批判を始め、細木数子やテリー伊藤などはサッチーを擁護。その後も北島三郎、ビートたけしといった錚々たる面々まで巻き込み、バトルは加熱していきました」(同・記者)

しかし、沙知代さんが衆院選出馬時に「コロンビア大学卒業」と記していた〝経歴詐称疑惑〟が噴出。東京地検に告発(後に嫌疑不十分により不起訴)されるに至り、沙知代さんが出演する番組のスポンサーが次々と降板するなど、次第にサッチー不利の状況に。


「00年には沙知代さんがセミヌード写真集を出版するなどカオスな展開になりましたが、01年12月に沙知代さんが脱税容疑で逮捕され、浅香が会見で『正義は勝つ』と勝利宣言。沙知代さんを擁護していた芸能人たちも沈黙し、騒動が収束しました」(同・記者)


17年に沙知代さんが亡くなると、浅香は騒動を振り返り、度を越したところもあったとした上で、「サッチーがしていたことって全部野村監督のためなんだ」と言い残し、自身も3年後に亡くなっている。


ネットやSNSが今ほど発達していない時代、生身の人間同士がぶつかり合うバトルは、大衆の〝娯楽〟として消費されていたのである。


「SNSが普及した現代では、顔の見えない者同士が誹謗中傷を繰り返し、社会問題化していますが、あの時代は真っ正面から対立すると、お互い逃げ場がなかった。だからこそ、さまざまなドラマが生まれ、後に許しあえたんじゃないかな。今は、ケンカしたらやりっぱなし。一方的にやられた側が命を絶つケースもある。どちらが人間らしいか。ミッチー・サッチー騒動を思い出すたびに考えさせられるよね」(芸能プロ関係者)


2人が残した〝教訓〟を忘れてはならない。