石井明美 (C)週刊実話Web
石井明美 (C)週刊実話Web

歌手/石井明美インタビュー〜『CHA-CHA-CHA』のヒットから36年、全国各地巡って大忙し

1986年のドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)の主題歌『CHA−CHA−CHA』で鮮烈デビューした石井明美。同曲はオリコン1位を獲得してミリオンセラーに。翌87年の第59回選抜高校野球大会の入場行進曲にも採用された。


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俗に〝一発屋〟などといわれがちだが、本人は「一発じゃないんですけどねぇ」と笑う。その石井、今は全国各地で行われている『夢コンサート』で大忙し。メンバーの中では最年少だという彼女の奮闘ぶりを聞いた。


――大ヒット曲をお持ちの方たちが一堂に会して行われる昭和歌謡コンサート。その顔触れがすごい。


石井 私が所属する春組は、おりも政夫さんと保科有里さんが司会で、女性だと桑江知子さん、ロザンナ(『ヒデとロザンナ』)、そして『チェリッシュ』の松崎悦子さんがいます。秋組は江木俊夫さんとあべ静江さんが司会で、女性陣は伊藤咲子さん、西口久美子さん、『リリーズ』さん。みなさん、私が小さい頃からテレビで見ていた人たちばかりで、知らない歌がないところがすごいですよね。


――コロナ禍で中止も相次ぎましたが、ようやく再開の兆しですか?


石井 そうですね。9月からは多くの日程が決まってきています。


――石井さんは最年少だから、元気に盛り上げなくてはいけない。


石井 その意味では、いきなり「アイワナダンストゥユー」で始まる『CHA-CHA-CHA』はうってつけ。全部がサビみたいな歌ですから(笑)。その他にもバラードだったり、春組なので春にまつわる歌をユニットで歌うなど、盛りだくさんの3時間なんですよ。


――3時間!? そんなに長いんですか?


石井 春組と秋組を全部通しで見ると、それくらいになります。

「1曲出して売れなかったら辞めればいい」

――地方の年配客にとっては魅力がいっぱいですね。


石井 これまでの最高が年間140公演。本当に全国津々浦々まで行くので、月に4日しか家に帰れなかったこともあります。昼と夜で別の場所ということもあり、時々、今どこにいるのか分からなくなるほど。ステージの幕が上がる前に「今日はどこどこですよ」と確認し合うくらい。最初の挨拶で地名を間違えたら大変ですから。


――失礼ながら、年齢を考えると体力面が心配です。


石井 いえいえ、みなさんお元気ですよ。尾藤イサオさんなんて、80歳近いのに腹筋がすごいんです。パキッと割れていて格好いいの。


――1986年のオリコン年間1位が『CHA-CHA-CHA』で、2位は中森明菜さんの『DESIRE』だったそうです。


石井 そういう実感、自分ではあんまりないんですよね。なにしろ当時、レコーディングはしたものの、家族にも友達にも内緒にしていたんです。何かの番組で私がレコードを持って出たのが最初のテレビ出演。それで家族にバレちゃった。


――なぜ、隠していた?


石井 スカウトされたのが、六本木のカラオケスナックでアルバイトをしていたときなんです。何度も断ったのに、スカウトの方の「1曲出して売れなかったら辞めればいい」という言葉でやる気になり、バレた家族には「売れなかったら辞めるから」とたんかを切って。


――当時は何を目指していたんでしょう?


石井 美容師です。資格も持っているし、一旦は銀座の美容室で働いてもいました。退職して転職活動中にカラオケスナックのアルバイトをしていたんです。


――事務所に入って2カ月後にはレコーディングが決まったとか。


石井 7月から始まるドラマ『男女7人夏物語』に合わせて8月にレコードを出すことになりました。あまりに早いデビューだったので「会長の愛人なのでは?」と噂されたみたいです。でも、実際は芸人さん(明石家さんま)が主役という新しいタイプのドラマの主題歌で、しかも海外のカバー曲。他の所属歌手にやらせて失敗するわけにはいかないということで白羽の矢が立ったのでは?…と推測しています(笑)。

キャラを覚えられないからしゃべらないで

――一発屋と呼ばれるのはどうなんですか?


石井 むしろ、ありがたいですよ。みなさんが今も覚えていてくださるということですから。ただ、『CHA-CHA-CHA』の後に出した『響きはtutu』も50万枚売れてるんですよね。知らないでしょうけれど(笑)。それに比べたら『ランバダ』は15万枚くらい。一発じゃないんですけどねぇ、とは思ってます。


――あの頃の石井さんといえばクールな印象でした。モテまくったのでは?


石井 そういうことはなかったです。よく、アイドルの方が電話番号を渡して…なんて聞くじゃないですか。私には一切ナシ。とっつきにくかったんでしょうね。事務所からは「しゃべるな」と言われてましたから。


――それはどうして?


石井 『CHA-CHA-CHA』って、夜の六本木のイメージじゃないですか。革の上下で髪の毛はソバージュ。夜になると気怠い感じで起き出して三角のカクテルを飲んでタバコをくゆらせる…みたいな。私、全然違うんですよ。好きな食べ物はドライフルーツと言わされてたけど、本当は板わさとたこわさでしたし。何回か練習はしたんですけど、「やっぱり明美は(キャラを)覚えられない。じゃあもう、しゃべらないで」って。夜のイメージだから日焼けするのもNGでした。


――石井さんといえばデビュー3年後の89年にセミヌード写真集『バージニアスリム』を1冊だけ出していますよね。デビュー30周年の前には、写真週刊誌で久々のセクシー肢体を披露されました。その間にオファーはなかったんですか?


石井 なかったですよ。見たいですか?という感じですよね。そもそも1冊目も〝大人の事情〟とかで意に沿わないカットも含まれてましたから。


――それはどんな?


石井 ちょっとこれ、パンツ見えてない? ヤダなぁ…みたいな。「こういうのも入ってないと売れないんだよ」と言い含められてました。まだ20代前半ですから、そういうのに神経質だったんです。


――でも、ステージで見えちゃうこともあるじゃないですか。


石井 『ランバダ』のときはそうでしたね。超ミニで回転したときにはお尻が見えるのが前提、みたいな。でもあれ、スカートの下は水着でしたから。生地的にも、綿やサテンだとシワが寄ってしまいお尻が美しく見えないんです。


――僕らはパンチラキターと思って喜んでいたのに。