![和田アキ子、小柳ルミ子 (C)週刊実話Web
芸能の仕事に携わる人間が最も気を使うのは、今も昔も「共演NG」だ。感情むき出しの激情型が多かった昭和の芸能人たちは、周囲がドン引きするほどの対立を仕事に持ち込むケースも少なくなったという。当時の『週刊実話』は、そんな芸能界の「犬猿の仲」を暴露していた。
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昭和57年2月11日号掲載『ああ人にいえない新・犬猿の仲』(2)年齢・肩書等は当時のまま
小柳ルミ子は福岡の中学を卒業すると宝塚音楽学院へ。予科、本科とも主席だった。が、宝塚には残らず、歌手になるため上京した。渡辺プロの所属となる。](https://weekly-jitsuwa.jp/rails/active_storage/blobs/redirect/eyJfcmFpbHMiOnsiZGF0YSI6MTUxMjQsInB1ciI6ImJsb2JfaWQifX0=--c0e1dbabf274b631062d2708ee7d92f8cd7d0be6/wada.akiko-koyanagi.rumiko.jpg)
和田アキ子VS小柳ルミ子『紅白の楽屋で一波乱 エリート意識の小柳にカチン』【週刊実話お宝記事発掘】
芸能の仕事に携わる人間が最も気を使うのは、今も昔も「共演NG」だ。感情むき出しの激情型が多かった昭和の芸能人たちは、周囲がドン引きするほどの対立を仕事に持ち込むケースも少なくなったという。当時の『週刊実話』は、そんな芸能界の「犬猿の仲」を暴露していた。【関連】小柳ルミ子「親のためには死ねないけど恋人のためだったら死ぬわ」【週刊実話お宝記事発掘】ほか
NHK連続テレビ小説『虹』に出演した。デビュー曲『わたしの城下町』は大ヒットし、NHK紅白歌合戦に選ばれる。その紅白も三、四回目のときだった。
楽屋で、和田アキ子といい争いになり、入場のさい、つかれて転倒した。いや、なぐられたのだ、との説もある。いらい、小柳は和田と顔を合わせるとソッポを向きことばを交わしたこともめったにない。
「へえ、そんなことがあったかしら…。でも、昔のことでしょう。若かったし、張り切っていたからねぇ、ハッハハハ」
これが、和田のいまの態度だ。もうとうに忘れている。こういうところが、和田の特徴でもある。
高校時代、和田がグレたのは父親への反抗だった。父親は柔道の道場経営者で、真冬に冷たい水を使いふきそうじをするスパルタ教育を、和田に強いたのだ。
「いいか、メシだけはうまくつくれる女になれよ。料理へたな女は女じゃない。男も相手にしてくれんぞ、と耳にタコができるほどお説教されたなあ。小学校のときからだもんねぇ」
和田は、こうも打ち明ける。“鬼の父”に直接、柔道を教えられたのはそのころからで、負けず嫌いな性格に支えられ、上達は驚くほど早かった。
歌に興味をもつようになったのは、小学校五年ぐらいのときからで、自宅近くに大阪では知れたジャズ喫茶があったことと関連がある。そのジャズ喫茶からは鈴木やすし、沢田研二らが巣立っている。
中学生になって、帰宅の途中、必ずそこに立ち寄りバンドボーイのようなことを手伝い始めた。坂本スミ子に、坊やといわれかわいがられたのは、当時のことだ。しかし、父親は許さなかった。
かくて、家出を…というわけだ。が、ホリプロの堀威夫社長にスカウトされたのは、そのジャズ喫茶ではなく北新地のゴーゴー喫茶で歌っているときのことだ。
堀社長は、和田を実家にあずけるいわゆる監視づきで、レッスンを重ねさせた。デビュー曲は『星空の孤独』四十三年のことで、小柳より三年早い。
だが、小柳の『わたしの城下町』とは違い、まったくといっていいくらい売れなかった。グループサウンズの全盛時代だったことにもよる。でも、翌年に出した『どしゃぶりの雨の中で』はヒットし、追い打ちをかけるようにして出した『あの鐘を鳴らすのはあなた』は、レコード大賞最優秀歌唱賞に選ばれる。
NHK紅白歌合戦に出場できた。
和田は述懐する。
「あのころから、わたしは少しずつ変わったんですね。自分には歌がある、歌だけでいい。もう二度とけんかはするまいと思うようになった。社長の影響かもしれないわね。そういうふうに、徹底的に教え込まれたんですよ」
ところが、小柳を痛めつけた。それも紅白の楽屋でだった。まだまだ番長意識は抜けていなかったようだ。
しかし、周囲にいた歌手仲間は、和田をかばう。
「ナベプロと比べ、ホリプロはまだまだ弱小だったでしょう。それを鼻にかけたルミ子が、あとから入ってきて自分の場をあけるようにせまったのね。ゆずり合いを待たずによ。それで中央にすわり、しかも大きな口をたたいたからなのよ。彼女が立ち上がり、ツカツカっとルミ子のところへ行ったのは…。すさまじい迫力だった。カッコよかったなぁ」
五木ひろしとの実らぬ恋
小柳には、エリート意識のようなところがある。といって、経済的に恵まれた家庭に生まれ、チヤホヤ育てられたわけではない。父親は小さな運送店を経営していた。勤勉だった。だが、その父親は小柳の実父でないことを、小学生のときに知る。実父は2歳のとき、結核で他界していたのだ。
母親は小柳をかかえての再婚だった。それをいわば負い目に感じたに違いないが、小柳に小さいときから芸事を習わせる。
いずれ子供が生まれ、夫の愛情がその方にそそがれても、小柳の将来になんら支障ないように、と考えてのことともきく。福岡唯一の宝塚予備校といわれる舞踊芸術学院に、小柳が中学生になると同時に通わせるようにしたのが、母親の心を裏づけるなによりの証拠ともいえる。事実、そのおかげで小柳は宝塚に入れたのだ。
すでにふれたように、成績はすばらしかった。歌手としてデビューするにも、それほど苦労することはなかった。意識するしないにかかわらず、エリート意識は自然と備わる。そういう歩みだっただけに、仕方がない。
しかも、小柳はモテた。『虹』で共演した、7歳年上の新劇俳優に、まずいい寄られ小柳も好きだったらしい。結婚まで考えたほどなのだ。しかし、許されぬ恋だった。小柳が捨てる。
ついで、五木ひろしの登場だ。これまた結婚まで考える。だが、これも実らぬ恋となった。理由は、プロダクションに反対されたためだ。
小柳には、暗さがある。吹っ切れたところがない。それは、過去の愛していながら別れなければならなかった悲しい思い出の結果だ、とみられもする。たしかに、それも強く作用しているはずだ。しかし、そのこと以上に無視できないのは、やはり実父を知らぬ生い立ちではなかったか。
暗さとエリート意識が同居する小柳は、和田の好みのタイプではない。和田は、だれもが認めるように雑草の明るさが特徴だ。
なぐったのかつきとばしたのかはさだかでないが、紅白の楽屋での一件いらい、お互いスター歌手だけに歌番組でいっしょになることはしばしばなのに、まともに口をきかなくなったのも無理からぬこと、と思えてならない。
マスコミに好かれる和田
小柳は、決してホリプロの歌手を嫌っているわけではない。森昌子、榊原郁恵と、出番を待つ間、冗談を交わしてキャッキャと笑いころげている場面をみかけることも、珍しくはないのだ。すでに引退した山口百恵とは、格別の親しさだった。百恵が結婚し、芸能界から引退して以後も、しばしば百恵の自宅をたずねている。ある芸能ジャーナリストはいう。
「性格が似ているし、生い立ちも近いですしねえ。たぶん話が合うんですよ。しかも、百恵には多くの友人を作り、そのひとの考えなどから何かを学びとって自分に役だてようといった積極さがありましたでしょう。それなんです。小柳ともうまくいっていたのは……。でも、小柳とはまともにはつき合えませんよ。エリート意識をプンプンさせますからねえ。昌子や郁恵だって、まともにはつき合っていないはずだ。適度にお茶をにごしている程度ですよ。だから、小柳はみかけと違って孤独なんですね。孤独だからこそ、音楽プロデューサーのM氏のような男にしかモテないんです。あれだってうまくいかなかった。もっとも、そうなったのは五、六年前からのことで、エリート意識をいやというほどひけらかすようになって以後です」
なかなか手きびしい。だが、事実に近い。M氏とのスキャンダルだって、芸能ジャーナリストの間ではこう陰口をたたかれていたほどなのだ。
「百恵の恋人宣言で、マスコミの目はすべてといっていいほど百恵に集中されましたよね。常にライバル視していた小柳にとって、それがくやしくて…。恋人宣言できるほどの恋人がいなかったためでもあるんですよ。それにエリート意識旺盛だしね。それで、かつて一、二度付き合った仲のM氏を、“わたしにもこういうひとがいるんだ”と引き合いに出し、巻き返しに出たんですよ。きっと…。陰に糸引きがいたかはしらないよ。M氏は、小柳にとってまさに絶好だったのは、妻子と別居の身であった。だからマスコミもいちおうは騒ぎましたね。その程度のことは考え、やってのける子ですよ、小柳ってコは…」
M氏との恋が、そうだったのかどうかはさだかでない。しかし、実らなかったことはたしかだ。でも、まったく同情されない、損な小柳であることは、この陰口で明白だ。
ところが、一方の和田は離婚といえば同情され、病気で入院したとなれば、その経過に関心が寄せられる。すでに峠を越した歌手なのだ。和田もそれを知っている。
百恵全盛時だった。契約更改期に、給料アップを百恵はホリプロに要求し、なかなか折れて出なかった。当然、昌子らからもひんしゅくを買う。それをなだめたのは、じつは和田である。和田はこういった。
「わたしたち、残念ながらこのところヒットに恵まれない。とくにわたしなんかひどい状態よ。しかし、以前と同じ待遇を受け、仕事もしないでノウノウとすごしていられるわ。これも、百恵ちゃんの孤軍奮闘のおかげじゃないかしら。すくなくともわたしはそう思っているのよ」
こんな親分肌のところ、さらに明るい性格がマスコミに好かれる理由なのかもしれない。
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