渡辺正行 (C)週刊実話Web
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コント赤信号・渡辺正行インタビュー〜さんま、紳助も認めた「芸能界のスーパーサブ」誕生秘話〜

渡辺正行(以下、渡辺)「週刊実話さんってことは、Hな話をすればいいのかな?(笑)」


――(笑)。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の頃から、渡辺さんのプレイボーイネタは有名でしたし、今日は武勇伝をおひとつ…。


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渡辺「あれは、明石家さんまさんが言い出したんですよ。収録の本番中に突然、当時僕が付き合っていた女の子のことを『あの子どうした?』って。僕も驚いちゃって、『なんのことですか、おっしゃってる意味が…』って、しどろもどろになりました。確かに楽屋でそういう話はしてたんですけど、本番で言うとは」


――「楽屋ネタ」を本番でぶっこんできたと。


渡辺「そうです。僕があたふたする姿が面白かったのかもしれませんね。ただ、そのやり取りがしっかりオンエアされて、僕が出てる尺(時間)がぐっと増えたんですよ。それまではセリフが少なくて、ちょっとしか出られなかったんです。それで、『テレビってそういうことか!』って気づきましたね。それからは女の子のネタをいろいろ集めては、さんまさんの楽屋に『昨日、六本木で●●女子大の子と飲んで〜』なんて言いに行って、ネタを振ったりしました(笑)。さんまさんもまたツッコんでくれて…というのをやっているうちに、定着したんです。自分のオンエア尺が伸びるから頑張ってましたよ」


――でも、本当に遊んではいたんですよね?


渡辺「僕が所属していた石井光三オフィスの石井社長が、『どんどん遊ばなあかん!』と社長自らタレントを引き連れて女の子と遊ばせてくれるんですよ。今の時代じゃ考えられませんけど(笑)、芸能界ってそういうものだと思ってました」

コントはあくまで芝居の練習

――昭和の芸能界らしいエピソードです。芸能界に入る前はどうでしたか?


渡辺「ぜんぜん。出身は千葉県のいすみ市って田舎だし、明治大学時代は落研(落語研究会)で男ばっかりのサークルで馬鹿なことばっかりやってました。付き合っていた彼女はいましたけど、プレイボーイとは真逆でしたね。純粋でした」


――それは意外です。


渡辺「落研の先輩だった三宅裕司さん、立川志の輔さんが役者を目指してて、僕もその道に進んだんですけど、テアトル・エコーで出会ったラサール石井くんと小宮孝泰くん…小宮くんは同じ明大落研なんですけど、3人で石井社長に遊びを教わってからですね」


――石井さん、小宮さんと結成されたコント赤信号についてうかがえますか?


渡辺「僕らは役者志望だったんで、コントはあくまで芝居の練習だったんです。手軽にできますから。お祭りとか学園祭に出たらウケるもんだから、『こっちのほうが向いてるのかな』って思いましたね」


――確かに、コント赤信号はお芝居の要素があります。


渡辺「ストリップ劇場でもコントをやって、お客さんに合わせて下ネタもやりましたけど、漫才ブームを横目で見ながら『こんなことをしてたらダメだ、ブームに乗れない』と、一時は石井も小宮も『辞めたい』って解散の話も出ました」


――そうなんですか!?


渡辺「『ゆーとぴあ』さん主催のライブに出ることになって、そこまでの1、2カ月を生活スタイルも全部変えて猛練習しました。それで生まれたのが暴走族コントです」

盛り上げてくれる女性をスカウト

――コント赤信号を代表するネタですね。


渡辺「人生で一番努力した時代でしたよ。暴走族コントがウケて、『花王名人劇場』(フジテレビ系)に出ることになり、他の番組にも呼ばれて…と、いろんなことが噛み合っていいほうに進みました」


――波に乗ったという感じですね。そこから『ひょうきん族』に繋がっていくわけですが、共演者の方とも遊んだんですか?


渡辺「収録終わりに出演者とかスタッフと、六本木のウガンダさんの店に飲みに行くんですよ。男ばっかりなんで女の子が欲しいよねってことで、僕と島崎俊郎(『ヒップアップ』)とで、素人の女の子たちを六本木の街に探しに行くんです。『一緒に飲まない?』って声かけて」


――ナンパしたんですか?


渡辺「ナンパっていうよりスカウトですね。飲み会を盛り上げてくれそうな、可愛くてノリがいい子をどれだけ集められるかって、島崎と競争してました」


――そういう子をどうやって見つけるんですか?


渡辺「片っ端からきれいな子に声かけて、話してみて、受け答えとか雰囲気で見極めるんです」


――自分の好みの子なんかも誘ったり?


渡辺「いや、自分で口説きたいって気はないですからね。盛り上がる子を何人スカウトしてくるか、しか考えてなかったです。島崎はたまに口説いてたな(笑)」


――そのスカウトも渡辺さんの「仕事」だったと。


渡辺「そうですね、それと飲み会の盛り上げ役もです。飲み会には『ひょうきん族』のディレクターもいるんで、その場でのやり取りが後日、台本に入ってたりする。だから、いかに面白いことができるか、盛り上げられるかを考えてました。自分が遊びたいっていうより、いいエピソードを作って『ひょうきん族』っていう番組になんとか食らいついて行こうと必死でしたよ」


――『ひょうきん族』の飲み会って面白そうです(笑)。


渡辺「さんまさんは仕切るのがとにかくうまいんですね。(島田)紳助さんは、その場でゲームを考えるんですよ。アドリブで考えた、ちょっとHなゲームとかをやって、女の子たちを楽しませちゃう。すっごい勉強になりました」

芸人の登竜門“ラ・ママ”

――渡辺さんがその飲み会で磨いた技術が、『クイズ世界はSHOW byショーバイ!!』(日本テレビ系)などで司会をするようになったときに活かされてるのかもしれませんね。


渡辺「それはあるかも。さんまさん、紳助さんが仕切っている隣で、この子を楽しませなきゃ、あの子も構ってあげなきゃ…とサブをやってましたから、MCの練習になってたのかもしれません。『SHOW byショーバイ!!』は、逸見政孝さんが報道系キャスターからフリーになって初めての番組だったんですけど、僕はサブMCとして番組が硬くならないように逸見さんや回答者にツッコんで、それをフォローして全体の空気を作っていく役割だったから、すごくやりやすいポジションでしたね」


――業界内の評価も高かったんじゃないですか?


渡辺「どうなんでしょう。ただ、自分がメインMCでやると気負いがあるせいか、あまり成功してないんですよ。メインMCの方がいて、僕はサブでいるほうがうまく立ち回れるってのがありましたね。気楽で」


――「芸能界のスーパーサブ」との異名もあるようです。どこで才能が開花するか分からないものですね。


渡辺「僕は楽しくすることが好きなんですよ。『関口宏の東京フレンドパーク』(TBS系)は役者さんのゲストが多かったんですけど、どこを突っつくとその人の人間味を出せるかとか、寡黙な方から面白いひと言を引き出したりとか、それができると嬉しいんですよ。まず自分が楽しくありたいですからね。それから周りも楽しませたい。これは『ラ・ママ』も同じですね」


――渡辺さんが1986年から主催される『ラ・ママ新人コント大会』ですね。芸人さんの登竜門になっているライブとして有名ですよね。


渡辺「ライブは、まず僕自身が楽しみたいんですよ。若い芸人たちが緊張しながらも舞台に出て行ってワッとウケると自分事のように嬉しいし、滑ったら恥ずかしい。そのライブ全体を通して、来てくれたお客さんが楽しんでくれているかどうかが一番のテーマです」


――『ラ・ママ』はずっと続けていってほしいです!


渡辺「ありがたいことに、『スピードワゴン』の小沢一敬くんが興味があるって声をかけてきてくれたんです。コント大会自体も、もっとやりがいのある仕組みにしてあげられないか模索してます。それで、若いスタッフが彼らの発想で成長させてくれればいいなと。僕が老人ホームに入っても、『まだやってんだ〜』とか言いたいですね(笑)」