島田洋七 (C)週刊実話Web
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利尻島で“松崎しげるワンマンショー”~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

漫才師は全国へ営業に行くでしょ。漫才ブームが終わり、講演会をメインにしてから日本中を飛び回りましたよ。延べ4800回くらい講演会に登壇しているから、日本で行ったことのない土地はないですね。


漫才ブームの頃は、営業で各地の市民会館や文化会館へ到着しても見たことある風景だな、くらいの記憶しかないんです。5年間で1日も休みがなかったですから。しかも、日帰りだったり、泊まったとしても、翌朝一番で東京へとんぼ返り。その土地を満喫する時間なんてなかったんです。


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漫才ブームが一段落してからは、お袋と一緒に旅するテレビ朝日のレギュラー番組があったんです。旅番組だと、スケジュールに余裕があるから、各地を楽しめた。お袋との番組の後、今度は歌手の松崎しげるさんと2人で旅する番組が日本テレビで始まった。


何度かロケを重ねて次の旅先をスタッフに尋ねると、北海道の礼文島と利尻島という。「俺は利尻島のスナックにボトルを置いてんねん」と松崎さんに自慢すると、「そんな場所に置いてあるわけないでしょ?」。「ホンマに置いてるって。賭けようか。負けたらどうします?」。「何曲でも歌うよ。飲み代も全部払う」と言い張る。そしてロケ当日、俺は北海道で別の仕事が入っていたから、前乗りしていて、松崎さんやスタッフを乗せた15〜16人しか乗れない小さな飛行機が利尻空港に到着したのを出迎えた。

まさか本当にボトルがあるとは…

そのまま利尻島でロケをして、宿での夕食を終えると松崎さんが「洋ちゃん、例のスナックへ行ってみようか」。スタッフ含め、7人でそのスナックへ向かった。「いらっしゃいませ!」。俺の姿を見るなり、ママが「洋七さん、久しぶり! まだボトルは置いてあるわよ。記念にね」。松崎さんは「イタタタタ…」と大げさに見せていましたね。

実は、お袋との旅番組で日本の最北端の離島へ行ってみようとなり、礼文島と利尻島へ旅したことがあったんです。その時、そのスナックへ入ったんですよ。まさか本当に利尻島のスナックにボトルが置いてあるとは、松崎さんは思いもしなかったんでしょうね。


「松崎さん、男の約束やで。1曲歌ってください」


店内にお客さんは3〜4人しかいなかったけど、松崎さんの歌のうまさにみんなビックリしてましたよ。飲んだり喋ったりして「何曲でも歌うって言いましたよね?」と水を向けると、また歌ってくれた。気がつくと、お客さんがどんどん増えている。お店の人が俺と松崎さんが店にいると電話でもしたんでしょうね。立ち見まで出る始末ですよ。


途中から俺が司会を務めた。結局、松崎さんはこの日、5曲も歌いましたよ。翌日もロケだから深酒はできない。スタッフの人が領収書は日本テレビ宛てで会計を済ませようとしているから「松崎さん、飲み代も奢るって言いましたよね」。「よく覚えてるね。芸人さんは記憶力がいいね」。松崎さんは4万円以上支払ってましたね。


次の旅先は高知。「高知のスナックにもボトルを入れてあります」と振ると、「もう良いじゃない」。それからは「ボトル」が2人の間でギャグになりました。


旅番組は各地を堪能できて楽しかったですね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。