岩佐美咲 (C)週刊実話Web 
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『令和の“応演歌”』岩佐美咲~AKB48&演歌デビューの充実した10年間(前編)

――弱冠27歳ながら、早くもソロデビュー10周年を昨年迎えました。しかも、ソロ4年目まではAKB48の一員としてアイドル活動もされていましたね。


岩佐 ソロデビューしたのが昨日のことのように思うくらい、本当にあっという間の充実した10年間でした。数え切れないくらいの貴重な経験も積ませて頂きました。幼稚園から小学校に入学したくらいの頃、『モーニング娘。』さんを毎日のようにテレビで見ては歌ったり、踊ったりとマネをしていたんです。今でもアイドルは大好きで、『モーニング娘。』さんのライブはよく見に行きます。


【関連】『令和の“応演歌”』椎名佐千子~らしさを追求する新たな挑戦へ(後編) ほかでも、アイドルに憧れていたというよりは、歌手になりたいと漠然と幼い頃から夢見ていたんです。私の夢に対して母が非常に協力的だったのにも助けられました。一緒にオーディション雑誌を読んでは、いろんなオーディションに応募していましたね。それが小学校高学年くらいからです。その中にAKB48のオーディション情報が載っていました。しかも、秋元康先生がプロデュースということで、おニャン子クラブ世代の母からも勧められたんです。合格することができましたが、最初は研究生でした。研究生は正規メンバーのバックダンサーや、正規メンバーが他の仕事でお休みする際に代わりに出演する程度。このままではソロの歌手としてデビューするのは夢のまた夢だなと思っていたんです。

二足のわらじでソロ活動

そんな時に、『AKB48 東京秋祭り』でカラオケ大会が開催されました。その大会は仲の良いメンバーとグループを作って歌ってもいいですし、1人でも大丈夫だったんです。やはり、ソロデビューを目指すメンバーは1人で歌いますよね。私も1人に決めたのですが、みんながポップスを選曲する中で、人とは違う曲を歌おうと考えたんです。

幼い頃から祖父母と同居していたため、テレビでは演歌番組が流れ、家族でカラオケに行けば演歌を歌っていたので、石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』と『天城越え』を歌い見事に優勝することができました。すると秋元先生から演歌を歌ってみないかと勧めていただき、そこからAKB48のメンバーとソロの演歌歌手という二足のわらじでの活動がスタートしたんです。


――幼い頃から夢見ていたソロ歌手としての活動は、感慨深かったですか?


岩佐 やはり、物凄く嬉しかったのを覚えています。AKB48とは違い、当たり前ですが、CDのジャケットもミュージックビデオも私しか写っていないですし、レコーディングにしても最初から最後まで私ひとりが歌う。しかも、私のためだけにスタッフさんがいろんな案を考えてくださることに感激しました。その時に、これがソロの歌手としてデビューすることなんだなと実感しましたね。


――そして、AKB48を卒業され、演歌一本の道になるわけですね。


岩佐 AKB48と演歌歌手の両立が難しいなと考え、初のソロコンサートでファンの皆様の前でAKB48を卒業し、ソロの演歌歌手として活動していくことを発表しました。AKB48からの卒業をお知らせするなら、それまで支えてくれたファンの皆様に直接お伝えしたかったので。(以下、後編へ続く
岩佐美咲(いわさ・みさき)1月30日千葉県生まれ。2008年、AKB48に研究生として合格。12年、AKB48に所属しながら『無人駅』でソロデビュー。16年、AKB48を卒業し演歌歌手一本として活動中。