島田洋七 (C)週刊実話Web
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お世話になった姉弟子の今いくよ・くるよ~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

今いくよ・くるよさんを初めて見たのは、俺がうめだ花月で進行係をしていた頃です。いくよ・くるよ姉さんの師匠で、後に俺も弟子入りする島田洋之介・今喜多代師匠がトリを務めていたから、姉さんたちの出番は最初のほうだった。


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その頃は、ぼちぼち笑いを取るくらいでした。当時は若手でも持ち時間は1組15分。ウケないと物凄く長く感じるんですよ。舞台から下りた2人はよく「4カ所しかウケんかったな。しんどかったな」と話しているのを耳にしました。


俺が弟子入りして2年くらい経つと、最初に見たのとは見違えるように笑いを取っていましたね。女性同士ということもあり、下ネタやどついたりする漫才はできないでしょ。だから、花の生け方や化粧の仕方などをネタにしていた。「ネタ作りが難しい」とよくこぼしていました。


弟子入りして6年目、B&Bは東京進出を決意。師匠に相談する前に姉さんたちに話したんです。「そういう大事なことは楽屋で話さんほうがエエ。家まで行って話しい」とアドバイスされて師匠の家へ向かった。


師匠に「東京へ行きます」と告げると、師匠夫婦は2〜3分黙ったまま。すると、今喜多代師匠が「行きなさい。大阪の漫才を関東で見せつけてきなさい」と口を開いたんです。洋之介師匠も「行ってこい。俺から東京のコロムビア・トップさんや内海桂子さんに手紙を書いてやるから」。その時も、姉さんたちは一緒について来てくれて、「師匠に許可もらって良かったな。今日はおごってあげるから何でも食べたい物を言うて」と、お好み焼きをご馳走になったんです。

「一番高いものは何?」

島田一門は、いくよ・くるよ姉さん、B&B、紳助・竜介と3組も漫才ブームで大ブレークしました。一度、『花王名人劇場』で島田一門だけが番組に出演することがあった。師匠は今で言うドヤ顔をしていましたよ。当時、3組合わせて月にレギュラーが40本。弟子が3組も売れるなんてなかなかあることじゃないんです。

姉さんたちは俺らが売れても、必ずご馳走してくれた。師匠がよく弟子を連れて、焼肉屋でご馳走してくれたのを受け継いでたんでしょうね。姉さんたちが売れてない頃は「飯でも食べえ」と小遣い1000円をくれる。ちょっと忙しくなると3000円、5000円と増えていった。漫才ブームの頃は会う度に1万円を手渡されました。


今でもよく覚えているのは、俺らが大阪から東京へ戻る時、新幹線で一緒になったことがあるんです。車内販売が来ると、くるよ姉さんが「一番高いものは何?」。販売員は「一番高いもの…。そうですね。そんなに高いものはないです。一番高いのが京都の漬物です」と答えると、「漬物なんて食うたら酒飲んでしまうがな。東京着いたら仕事やからな」。結局、アイスクリームやチョコレートを全部で5つ買ってくれましたね。


姉さんたちは本当に面倒見のいい素晴らしい人でしたよ。当時、まだ若手のハイヒール・リンゴたち女性芸人を10人以上連れては、月に一度食事会を開いていたようです。本当にお世話になったし、後にも先にもあそこまで売れた女性コンビの漫才師はいないでしょうね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。