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『令和の“応演歌”』椎名佐千子~らしさを追求する新たな挑戦へ(後編)

椎名佐千子
椎名佐千子 (C)週刊実話Web

――前編の最後では、コロナ禍で改めて人前で歌う喜びを実感したと語っていました。昨年は20周年。コロナ禍ではどんな過ごし方をしていたんですか?

椎名 ファンの方と繋がりを持ちたいと思い、YouTubeチャンネルを立ち上げたんです。そこでは歌やギターを披露したりですね。あとはおうち時間が増え、少しふっくらしてしまったんです(笑)。それを久々に会ったメイクさんに指摘され、ダイエットに励みました。そのトレーニングの模様もYouTubeにアップしましたね。また、ブログを通じてファンの皆さんに発信させていただいています。

YouTubeにしてもブログにしてもアップすると毎回ファンの方々がコメントを書き込んでくれる。厳しい状況でも温かくも熱い応援をしていただき感謝しています。そのひとつひとつに目を通しています。コメントを見るのは、毎朝の習慣になっていますね。昨年夏に発売したシングル『潮騒みなと〜感謝編〜』に収録されている『おなじ空の下』では初めて作詞にも挑戦しました。まだまだ未熟ではありますが、ファンの方々へ向けての想いを込めた詞になっています。

――他に、新たに挑戦したことはありますか?

椎名 今はドラムのお稽古を始めたので、今年のコンサートで披露できたらいいなとは思っているのですが、ドラムセットを用意するのは大変ですね。

ファンの方との会話や触れあいが楽しみ

――以前から色んな楽器にチャレンジされています。

椎名 ギターと和太鼓、ウクレレはステージで披露させていただきました。昨年の20周年コンサートでは、和太鼓の二段打ちに挑戦したんです。やはり、20周年という特別なコンサートでは、それまで披露させていただいた打ち方よりもグレードアップした姿をお見せしたかったんです。

――コンサートもできる状況になってきました。

椎名 先日のコンサートでは、ようやくCDの即売会を開くことができましたが、まだまだ握手は難しい状態です。ステージを終えた後に、ファンの方々とのちょっとした会話などの触れ合う時間が楽しみなんですけどね。早く(コロナが)収束してほしいですね。

――理想とする演歌歌手像はあるのですか?

椎名 演歌歌手に憧れたきっかけは島津亜矢さんなんです。幼い頃から、祖母の影響で演歌を聞いて育ち、その後、演歌の大会に出場するようになりました。小学校5年の時、ある大会の会場で島津さんの歌声を聴いた瞬間、体に電流が流れるような衝撃が走ったんです。ステージで熱唱する島津さんの存在感にも圧倒されました。ですから、そういったパワーを皆さんに届けられるようになりたいですね。ただ、まだまだ近づけてはいません。

デビューして20年で感じたことは、島津さんは憧れの存在ではあるけれども、私は椎名佐千子らしさを追求しなければならないと思っています。それはさまざまな楽器、ギターや和太鼓、最近ではドラムなどへの挑戦であったり、演歌だけでなく、歌謡浪曲への挑戦だったりですね。色んなジャンルの曲を歌うことで、幅広い年齢層の方にも楽しんでいただきたいですね。また、目でも楽しんでいただけるよう、今後もさまざまなことにチャレンジしていきたいと考えています。

椎名佐千子(しいな・さちこ)1982年生まれ。千葉県旭市出身。2002年『御意見無用の人生だ』でデビュー。同年、日本レコード大賞新人賞受賞。今年4月『面影みなと』を発売。

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