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釜本邦茂「結局“釜本を超える奴”がいないということだ」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第12回

釜本邦茂
釜本邦茂 (C)週刊実話Web

20世紀の日本サッカー界が生んだ最高のストライカーとして、いまなお数々の記録を保持する釜本邦茂。当時はアマチュアだったが、トップクラスのプロとの試合でもゴールを奪い、世界的にも高く評価された不世出のレジェンドだ。

世代が違うアスリートの実力を比較するのは難しい。かつての名選手、レジェンドの偉大さを認めつつも、昔に比べて体格が平均的に向上し、科学的トレーニングが発達した現役世代のほうが、身体能力は高いとみるのが一般的だろう。

しかしながら、サッカー日本代表の得点力不足が嘆かれるとき、オールドファンから「あの選手がいてくれたら…」という声が聞かれるのが、史上最強のストライカー、釜本邦茂だ。

決して〝思い出補正〟ではなく、当時の釜本の写真を見れば、いまの選手を上回る肉体の力強さが伝わってくるのではなかろうか。

1967年9月27日、メキシコ五輪アジア予選のフィリピン戦ではダブルハットトリック、つまり1人で6ゴールを達成。それも含めて日本代表の国際Aマッチでは、通算75得点を記録した。この数字は2位の三浦知良(55得点)、3位の岡崎慎司(50得点)を大きく引き離している。

釜本は国際Aマッチが少なかった時代に、76試合で75得点を記録。三浦は89試合、岡崎は119試合の出場だから、いかに釜本の決定力が高かったのか分かるだろう。しかも、当時の一流強豪であるイングランドのアーセナルやブラジルのパルメイラスなどからも、しっかり得点を奪った上での記録なのだ。

銅メダル獲得、7ゴールで大会得点王に

68年のメキシコ五輪では初戦のナイジェリア戦でハットトリックを達成すると、準々決勝のフランス戦で2ゴール、開催国メキシコとの3位決定戦でも2ゴールを決めて、日本代表の銅メダル獲得に貢献。計7ゴールで大会得点王にも輝いた。

なお、メキシコ五輪直後には世界選抜にも選出されたが、日本で結婚式を控えていたことを理由に出場は辞退している。

この当時、日本ではまだサッカーはマイナー競技の部類であり、海外の一流どころ相手ではとても勝負にならないと思われていた。しかし、釜本の活躍はそんな世間からの評価を大きく変えることになった。

釜本はほとんど守備に参加しなかったため、現代のサッカーにはそぐわないという批判もあるだろう。だが、当時の日本代表には、その戦術でしか世界と戦えないという事情もあった。

ディフェンダーはとにかく守りに徹して、ひたすらクリアを繰り返しながら、快足フォワードの杉山隆一が、ゴール前で待ち構える釜本にボールをつなぐ。

そうするとたとえ得点できなくとも、釜本が相手のマークを引き付けながらボールを収めて時間を稼ぐことで、その間にディフェンスを整えることができるという寸法だ。

ディフェンスやボールをつなぐ能力が、当時に比べて格段に上昇した現在の日本代表に、もし釜本のような存在がいたとしても、それで世界の上位に勝てるとは限らない。しかし、まったく無理とも言い切れない。そう思わせるだけの力量と実績が、全盛期の釜本にはあったのだ。

気持ちも強かった釜本

得意の得点パターンは、右45度の角度から放つ正確無比なシュート。これには「当時の世界最高レベル」と評する声もあったほどだった。さらに、相手が右足を警戒したときには、左足でもハイレベルなシュートを打つことができた。

滞空時間の長いジャンプからのヘディングシュートも得意で、釜本自身は「5割は右足。左足が3割で、頭が2割」と語っている。まさに、どこからでも点が取れる本格的なストライカーだったのだ。

釜本は気持ちの強さも傑出していた。

「ノーマークなら俺にパスしろ。1人マークがいても俺にパスしろ。2人いたら…やっぱ俺やな」

「ストライカーは打ち続けることですよ。失敗を気にしていたら商売にならない。打ったシュートすべてが決まっていたら、1万点決めている」

いずれもストライカーとしての気持ちの強さが、前面に出た言葉であろう。

引退後の釜本は、日本代表に対してたびたび苦言を呈している。

「フォワードについては結局〝釜本を超える奴〟がいないということだ」(21年8月6日、東京五輪の男子サッカー3位決定戦で、日本代表がメキシコに3対1で敗れた際のコメント)

「何度も失敗して、周りからいろんなことを言われて、それでもやり続けて自分の形を作る。そんな勇気を持ったストライカーが現れてほしい」(同)

「(深夜)12時からの試合を見たけど疲れた。あれだったら見ないほうが良かった。見る人にそういう思いをさせないような迫力のあるサッカーをしてほしい」(21年9月7日、W杯アジア最終予選で日本代表が中国に1対0で勝利した際のコメント)

このような言葉に対して、いまのファンから「釜本の頃とは時代が違う」「老害だ」などと、反発を受けることも多い。

しかし、最近の日本代表において、強烈な個性と心身の強さを備えたスター選手がいないというのも、多くの人々が認めるところであろう。そうして考えたときに、釜本の言葉は決して軽んじることができないのである。

《文・脇本深八》

釜本邦茂
PROFILE●1944年4月15日生まれ。京都府出身。サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点(歴代1位)を記録。68年のメキシコ五輪ではアジア人初の得点王に輝き、銅メダル獲得に大きく貢献した。

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