※画像はイメージです (画像)Hamdan Yoshida / shutterstock
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『昭和猟奇事件大捜査線』第17回「ホラー映画のように飛び散った血しぶき…遊郭経営者母子の惨殺死体」~ノンフィクションライター・小野一光

昭和20年代の冬の夜。四国地方某県のM市にある料亭に、衣料品販売業の横内良子(仮名、以下同)がやって来た。良子はこの料亭の女将である花田麻子(33)の知人で、麻子の内縁の夫である田村和彦に頼まれて、麻子の次男の道夫(3)を、彼の元に連れて行くことになっていた。


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ところが、良子が玄関先で声をかけても、家の中からは返答がない。そこで和彦から預かっていた料亭玄関の鍵を使って屋内に入ると、店内は暗いが、2階に明かりが灯っている。


2階で寝ているのでは、と考えた良子が寝室の扉を開けたところ、まず壁に飛び散った血しぶきが視界に入ってきた。そして畳の上で麻子と道夫のふたりが、首から血を流して死んでいるのを発見したのである。


良子は慌てて部屋を飛び出すと、そのことを自宅にいる和彦に報告。和彦が所轄であるM署に届け出て、事件が明らかになったのだった。


被害者である麻子が営業していたのは、料亭の体をなしているが、実態は売春が行われている遊郭であった。また、麻子が周辺の風評で美人として名高かったことから、本件は痴情、もしくは怨恨、物盗りの線が考えられ、犯行の目的や動機の推定は困難だとされた。


しかし、現場の状況が、
  • 麻子に対して灰を使用して目潰しをしている
  • 犯行は被害者両名の頭部を金づちで乱打したうえ、包丁で頸部を突き刺して止めをするなど、極めて残虐に行われている
などしたことから、以下の推定がなされた。
  • 面識ある者の犯行か、あるいは面識のある者が介在すると思われる
  • 共犯のある物盗り目的の犯行である
ちなみにこの現場検証では、現場写真80枚が撮影され、現場指紋65個が採取されていた。

被害者の姪といた謎の男

そうして、聞き込みや関係者の足取りなどの捜査を進めた結果、麻子の姪で、かつてこの料亭の手伝いをしていた花田真美子(21)が、男連れで近くにやって来ていた、という目撃証言が寄せられる。

真美子は18歳のときから麻子の料亭で手伝いをしていたが、19歳のときY市において、情夫と共謀した窃盗で逮捕され、この半年前までK刑務所に服役していた。そうしたところ、犯行日と推定される日に、後藤仙一と自称する男が、花田真美子と認められる女を同伴してD駅に現れ、柳行李(やなぎごうり)1個、布団袋1個を、本州にあるH駅に送った事実が確認された。


捜査本部は、すぐに捜査員をH駅に派遣。そこで同じ荷物が、今度は真美子がいたG市にあるG駅に送られていたことが分かった。


この男について、本人は後藤仙一という名を名乗っているが、捜査本部は、それは偽装した名前で、本名は藤枝健太郎(31)だと見ていた。真美子はかつて同郷の藤枝と交際しており、藤枝の写真をD駅の担当者など複数名に見せたところ、彼女とやって来た男に酷似しているとの証言が得られたため、藤枝が後藤という名を自称したとの結論を出していたのである。


そこで捜査本部は、彼らが駅から送った荷物が、被害者宅から盗まれた被害品と同じものであることなどから、真美子と藤枝の逮捕状を取り、全国に指名手配したのだった。


その後、所在捜査を進めた結果、M市内の旅館に投宿中の藤枝を発見し、逮捕に至る。


だが、逮捕後の取り調べによって、藤枝が事件とはなんら関係ないことが明らかになるのだ。そのため無実の彼は、すぐに釈放されたのだった。


「真美子と一緒にいた男はいったい誰なんだ?」


捜査員を真美子がいたG市に派遣して調べを進めたところ、彼女は出所後、G市にある遊郭で接客婦として働いていたが、そこで後藤仙一(37)という男と知り合い、彼に妻子がいるにもかかわらず、駆け落ちをしたことが判明する。


つまり、D駅で荷物を送った後藤仙一は、実在の人物だったのである。


そこで後藤についての捜査を進めることになった別班は、後藤に前科があったため、彼の指紋票を入手。犯行現場で採取された遺留指紋との照会を行ったところ、店内に置かれていた一升瓶から採取された指紋と一致したのだった。

帰る旅費のために実家に戻った

また、麻子の寝室を窺った際に開けられた障子の穴に付着していた唾液と、遺留品の靴下から採取された血液型も、後藤のものと同一であった。

そうしたことなどから、本件は花田真美子と後藤仙一の共謀による強盗殺人事件であるとして、捜査本部は新たに逮捕状を得て、彼らを全国指名手配することになったのである。


一方で、G駅に向かった捜査員が、送られてきた荷物を「山田」なる男が受け取ったとの情報を得る。そこでG駅を署管内に置く県警の協力を得て、捜査を進めたところ、それが山田宏爾という男性であることを突き止めた。


そうして犯行から1カ月後に、G市内の山田家に間借りしていた、真美子と後藤を逮捕したのだった。


逮捕後の取り調べに後藤は語る。


「妻のキヌがヒステリー気味で夫婦喧嘩が続き、××遊郭に通っていたのですが、そこで真美子と出会い、馴染みを重ねているうちに、深い仲になりました。それで事件を起こす前の月に、真美子の前借金1万5000円を支払って、山田さん方の一間を借りて同棲を始めたんです。すると、そのことがキヌに知れて大騒ぎになり、それで私の実家に逃げることにして、途中でM市に立ち寄りました…」


そこで観光をしているうちに、後藤が実家に帰ることを拒むようになり、真美子と言い争いになったのだという。後藤は続ける。


「結局、再びG市に帰ることにしたんですが、帰る旅費もないので、真美子の実家で旅費をもらおうということになりました。それで彼女の実家に着いたのですが、すでに家族は就寝中で、声をかけるのは忍びないとなり、切り餅だけを拝借してM市に舞い戻ったんです…」


真美子の実家というのは、彼女が実の母親から12歳頃まで預けられた祖母の家のこと。複雑な事情があったことから、彼女は就学せずに12歳から18歳まではサーカス団の劇団に所属し、その後、工場の女工を経て、叔母の麻子が経営する遊郭を手伝うようになった、という経緯があった。


かつて麻子の下で働いていた際に、冷淡な扱いを受けた記憶のある真美子がそのことを口にしたところ、後藤との間で、「叔母(麻子)を殺害して、何かを盗ろう」との計画が立てられたのだった。以下、再び後藤の供述である。


「M市の町を真美子と歩いているときに、金づちが落ちているのを見つけ、これを使おうと思い立ちました。それから荷造り用の紐や手袋を買い求めて準備を整え、料亭が見下ろせる山の中腹に身を隠して、様子を窺っていたんです…」

首、背中にも包丁を突き立て…

風呂に出掛けた麻子が戻ってきたのは、深夜のことだったという。それから1時間ばかり様子を窺い、明かりが消えたのを確認してから、真美子とともに侵入を試みたのだった。

「真美子が店の作りに詳しいため、表側の障子から手を差し込んで、施錠を外しました。それで、手ぬぐいで頬かむりをして、店のなかにあった茶碗に火鉢の灰をすくい入れたんです。それを台所にあった包丁とともに真美子に持たせました。それから私が金づちを手にして2階に上がり…」


後藤が指先に唾をつけて障子に穴を開け、4畳半の寝室を覗き込むと、麻子と道夫が並んで眠っている。そこで、静かに障子を開けると、真美子が持っている茶碗を受け取り、目潰しのために灰を麻子の目元に振りかけ、金づちを彼女の頭部に振り下ろした。


「ギャーッ!」


麻子が上げた悲鳴が周囲に響く。


その声に驚いた道夫が目を覚まし、泣き声を上げた。そこで後藤は道夫の頭にも金づちで一撃を加えた。


「それからは無我夢中で、ふたりの頭を14〜15回は殴りました。周囲に血が飛び散って、私や真美子にもかかりました。ただ、それだけでは完全に死んだのか分からないため、真美子に持たせていた包丁を受け取り、ふたりの首をまず刺し、続いて背中にも包丁を突き立てて、完全に死んだのを確認してから、室内を物色したんです」


後藤と真美子は室内にあったミシンの頭部ほか63点、時価10万円相当の物品を強奪し、その場で柳行李1個、布団袋1個に荷造りをした。そしてそれらを、後藤仙一名義でD駅から発送し、彼ら自身は連絡船を使って四国を離れ、本州へと向かったのである。


捜査終結に伴い、一旦は藤枝を犯人としてしまったことの検証が行われた。それによれば、藤枝の写真を見せられた者の反応について、「間違いないという者1名、よく似ていたという者2名、だいたい似ているという者4名」であったことが判明する。さらには、「目撃者に示した藤枝の写真は、藤枝自身よりも、むしろ後藤に似ている点が多いと思料された」との結論が出されたのだった。
小野一光(おの・いっこう)福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。