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『令和の“応演歌”』椎名佐千子~デビューから20年「挑戦」し続けた歌手生活(前編)

椎名佐千子
椎名佐千子 (C)週刊実話Web

――2002年4月に19歳でデビューし、昨年、20周年を迎えました。20年間の歌手生活を振り返り、一言で表すとどんな言葉が当てはまりますか?

椎名 20年間で色んな人たちのお陰でさまざまなことに「挑戦」できましたので、「挑戦」の2文字が思い浮かびますね。

――具体的に挑戦したこととは何ですか?

椎名 19歳の時、『御意見無用の人生だ』でデビューするにあたり、新人の演歌歌手として「オンリーワン」を目指そうとスタッフの皆さんから色んな案が出ました。宝塚の男役のような衣装や金髪のマッシュルームカットのカツラを被ったりと、さまざまな衣装を試したのですが、どれも似合わなかったんです。そこで現在も支えてくれているディレクターの方から『ハイカラさん』のように袴にブーツ姿の演歌歌手はいないから目立つのではないかとの提案があったんです。実際に写真撮影をすると、その姿が一番しっくりきたので、袴とブーツでデビューすることになりました。

ただ、私としては若干の戸惑いもありました。14歳の時に、『パナホームカップ 全国歌の甲子園決勝大会』で優勝し、作曲家の鈴木淳先生に声を掛けて頂き、鈴木先生の下にレッスンに通うようになったんです。高校生になると、千葉県旭市の実家が海に近く、毎日のようにボディーボードを楽しんでいました。また、日焼けサロンにも通い、ルーズソックスを履いたギャルだったんです。

ある日、黒い肌で化粧をした私の姿を見た鈴木先生から「歌手という夢があるなら、そんなにチャラチャラしていてはいけない。肌が黒いと着物も似合わないよ」と注意されたんです。それからは美白に目覚めましたね。ですから、デビューは当然、着物姿とばかり思っていたんです。

お客様の前で歌える有り難さ

――現在は着物の印象が強いのですが、いつ頃から着物に変わったんですか?

椎名 5作目の『恋勿草』から変わりました。ただ、当初は着物での所作が難しかった。袴から着物に変わると所作が全く違うんですよ。袴だと腰を落として外股で歩きますが、着物ではどちらかというと内股です。どうしても外股の癖が抜けず、最初のうちはファンの方から「内股にして、もう少し色気を出そうね」と言われたこともありましたね(笑)。

――そして迎えた30代、そろそろ中堅と呼ばれる世代に入りました。

椎名 30代前半までは、尊敬する諸先輩方に付いて行こうという気持ちでしたが、最近では年下の歌手の方も増え、先輩たちを敬いつつも、年下の方へ伝えていく役割もしなければいけないと考えています。

また20代で歌っていた曲を聴いたり、映像を見ると、色んな気付きがありますね。表現の仕方や感じ方が変わりました。例えば、4月に発売した『面影みなと』は、離れてしまった男性を健気に待ちわびる女性の心情を歌った曲です。当初は、切なくて、胸がギュッと締め付けられるように感じていたのですが、ステージで歌う度に段々と心境が変化しています。それはコロナ禍でコンサートが中止になったりと、さまざまな制約があるご時世が影響しているのかもしれません。ステージやお客様の前で歌える有り難さを実感しましたし、こんなご時世でも足を運んでくださるお客様に歌を届けることで元気になって頂きたいという思いが、より一層強くなりましたね。(以下、後編へ続く)

椎名佐千子(しいな・さちこ)
1982年生まれ。千葉県旭市出身。2002年『御意見無用の人生だ』でデビュー。同年、日本レコード大賞新人賞受賞。今年4月『面影みなと』を発売。

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