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新庄剛志「つらいけど、いまは“また稼ごう”と思える」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第11回

新庄剛志
新庄剛志(C)週刊実話

日本ハムの監督として16年ぶりに球界復帰するや、連日のように話題を振りまいて比類なきスター性を証明した新庄剛志。

チームとしては苦戦を強いられているが、シーズン後半も「BIGBOSS」旋風が吹き荒れるだろう。

近頃よく耳にする「引き寄せの法則」とは、簡単に言うと「ポジティブに強く望んだことは実現する」というもの。「だったらなんで俺の買った馬券が当たらないんだ」との愚痴も聞こえてきそうだが、それについては「外れることを恐れて、本心から当たると思っていないから」ということになる。もちろん、この法則に科学的な根拠はなく、デタラメだとする批判も少なくない。

ただ、今年から北海道日本ハムファイターズの監督に就任した「BIGBOSS」こと新庄剛志を見ていると、実は引き寄せの法則は正しいのではないかと思えてくる。

高校時代の新庄は甲子園に出場することもなく、全国的には無名の存在だった。しかし、身体能力の高さ、特に強肩がスカウトの目にとまり、1989年のドラフト会議で阪神タイガースに5位で指名される。

入団会見で「プロ野球自体はあまり好きじゃなかった」と語った新庄だが、プロ入りは父の強い夢であり、少年時代から父の指導の下で練習を積んできた。

プロ入り後は2年目の一軍初打席で、巨人の香田勲男から初ヒットを記録。3年目には初スタメンの第1打席で、横浜大洋ホエールズの有働克也から初本塁打を放っている。

希望通りあっさりメッツに入団

新庄は「記録よりも記憶に残る」といわれるように、印象的な場面で活躍した。その最たる例が99年6月12日、巨人との首位攻防戦において、12回裏同点の1死一、三塁で槙原寛己の敬遠球を打ち、サヨナラ安打を放ったことだろう。

「絶対に打てる」「自分が打ってヒーローになる」という強い気持ちがなければ、さすがに敬遠球に向けてバットを振ることはできない。それを実現したのは、やはり新庄の「引き寄せ力」ではなかったか。

そして2000年、フリーエージェント(FA)の権利を獲得した新庄は、無謀とも思えるメジャーリーグ挑戦を表明する。

阪神在籍の10年間で打率3割や本塁打30本を記録したことがなく、数字的には平凡なもの。同年にメジャー挑戦を表明したイチローとは天と地ほどの差があり、新庄が成功する、しないという前に「そもそも新庄を欲しがるメジャー球団があるのか」との見方がもっぱらだった。

ところが、大方の予想を裏切って事態は好転する。新庄は「ニューヨークの球団でやりたい」という希望通り、わりとあっさりメッツに入団が決まった。

メジャーでは野茂英雄の成功以来、日本球界に注目していて、メッツもシーズン中から視察を重ねていた。そこで新庄はキャリアハイの成績を残し、さらにFA交渉が始まる直前の日米野球で、4割超えの好成績を挙げたことがメジャー入りの後押しとなった。

「野球なんかマジ、バイト」

また、当時のメッツ監督は「野球のエンターテインメント性」を重視するタイプのボビー・バレンタイン(元ロッテ監督)で、日本の球界事情に精通しており、新庄の明るいキャラクターも熟知していた。

ただし、メッツ側も主軸を期待したわけではなく、外野の控えとして守備力を評価しての獲得といった意味合いが強かった。契約金30万ドル(約3300万円)はポスティング移籍となったイチローの独占交渉権1400万ドル(約14億円)と比べて40分の1以下。年俸20万ドル(約2200万円)は当時メジャーの最低保障額であった。

この時、阪神は5年総額12億円の提示をしており、つまり残留すればメッツの10倍以上の年俸を得られたわけだが、それでも新庄はメジャーを選んだ。

メッツ入団発表会見での「やっと自分に合った野球環境が見つかりました」との言葉は、新庄の偽らざる本心であり、その気持ちがあったからこそ、メジャー移籍の夢がかなったのではなかったか。

メジャーでの3年間は、脚の故障などもあってコンスタントに活躍できなかったが、それでも外野全ポジションの守備に就き、4番の打順も任されている。また、メッツからトレードされたジャイアンツでは、日本人初のワールドシリーズ出場と日本人初安打を実現している。

金銭面でもスポンサー契約料が相次いで舞い込み、年俸もアップしたことで「野球なんかマジ、バイト」というほどの収入があったと、新庄は引退後に語っている。

日本球界復帰後の日ハム時代も含めると、現役を通じて「44億円の収入があった」という新庄だが、そのほとんどを信頼して預けていた人物に使い込まれてしまったのだという。

これについて新庄は「他人に任せた僕が悪い」「つらいけど、いまは〝また稼ごう〟と思える。これからは毎日楽しく生きるだけ」とコメント。そんな前向きな姿勢が、新たに監督の道を開いたとも言えそうだ。

《文・脇本深八》

新庄剛志
PROFILE●1972年1月28日生まれ。福岡県出身。現役時代は阪神、メッツ、ジャイアンツ、日本ハムの日米4球団でプレーし、勝負強い打撃と抜群の守備で人気を博した。日本人野手初のメジャーリーガー。

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