島田洋七 (C)週刊実話Web
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セリフが飛んだ「歌舞伎」出演~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

漫才ブームの頃、B&Bは一度、歌舞伎に出演したことがあるんです。


しかも、『銭形平次』で一世を風靡した大スター、大川橋蔵さんの年頭公演ですよ。


当時、俺らは漫才ブームで若者に人気があった。もっと若者に歌舞伎を見に来てほしいとの思惑があったんでしょうね。ただ、俺らは月曜から金曜まで昼の生放送番組『笑ってる場合ですよ!』の司会を務めていたから、大阪の新歌舞伎座での橋蔵さんの公演には、昼間の生放送を終えてから新幹線で駆けつけるスケジュール。稽古は数回しか参加できなかったんです。


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迎えた初日。どん帳が上がると、30段ほどの階段を橋蔵さんが降りてくる。旅人役の俺と洋八が近づくと、橋蔵さんが「どこへ行くのじゃ?」。橋蔵さんの圧倒的な存在感に俺はセリフが飛んでしまった。もう頭が真っ白になり、黙ってしまった。すると「どこへ行くのじゃ?」と、また橋蔵さんが発した。なんとか時代劇に出てきそうなセリフを考えて「拙者の名前は何と申す?」と俺が言ったんです。


すると今度は橋蔵さんが何も返してこない。もう一度同じセリフを言うと、橋蔵さんが「拙者はお主じゃ」。拙者は自分のこと、お主は相手のことを指す言葉なのに、もう混乱してどっちがどっちを指すかわからなくなってしまったんですよ。それで「拙者とお主は友達か?」と俺が口にすると、「何がじゃ?」と橋蔵さん。もう訳がわからなくなり「何がじゃとは、何がじゃ」、「何がじゃとは、何がじゃとは、何がじゃ」。

歌舞伎でこんなにウケたことはない

本来なら、そこから3人が旅に出る内容だったんですが、俺らは斬られて舞台袖に引っ込みました。歌舞伎の演目は内容が決まっていて、お客さんも大体のセリフを知っている。聞いたこともないやり取りに、お客さんは大爆笑でしたよ。

30分後に再び出番があった。舞台監督に聞くと、ここから先は台本通りに一緒に旅をしたほうが良いとアドバイスされ、舞台に上がると「何しに来たのじゃ?」とまたも斬られ、引っ込みました。初日の公演を終えると、お客さんから拍手の嵐。漫才も含めて、人生の中で一番笑いが取れたくらいでしたよ。


その後、橋蔵さんの楽屋へ行き、「初日から間違えました。すみませんでした」と洋八と2人で頭を下げると、「長年役者をやっているけど、歌舞伎でこんなにウケたことはない。明日からこれでいこう」。飲みにも誘ってもらい、日本料理屋へ行くと、店の女将さんとお客さん3〜4人が俺らに気が付き、「B&Bだ」と喜んでくれたんです。


店を出る時、橋蔵さんは歌舞伎の口調で「騒ぐんじゃねえ」。「先生、それは舞台のセリフですよ」「わざと言ったんだ。騒ぐんじゃねえ。お主ら」。すぐに即興で使うし、笑いのコツも知っている。流石だなと思いましたね。


2010年、博多座や中日劇場で『佐賀のがばいばあちゃん』の舞台があったんです。出演者と顔を合わせると、丹羽貞仁という俳優さんがいる。大川橋蔵さんの本名は丹羽さんだからもしやと思い、劇場の人に聞くと橋蔵さんの息子さんであることがわかった。


昔、お父さんにお世話になった話をしました。これも何かの縁と感じましたね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。