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奢ってもらったチャーシュー麺~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

吉本に入った最初の頃は、新喜劇のセットを組んだりする進行係の仕事をしていたんです。

その時に仲良くなったのが間寛平。よく家にも遊びに来ていました。会社勤めの嫁さんと4畳半一間、共同トイレのアパートで同棲していました。

寛平は週に3日ほど泊まってましたよ。ある日、午後5時に仕事が終わり、寛平と2人で家にいると、お腹が減ってどうしようもない。小さな冷蔵庫を開けて食べ物を探したけど、ケチャップとマヨネーズしかない。仕方ないから皿に出して手で舐めていた。すると、帰宅した嫁さんが俺らを見て「あんたらなにしてんねん。ケチャップ舐めて」。「腹が減っとったから」。「わかった。ラーメン店へ行こう」となった。

道中、嫁さんに「チャーシュー麺は絶対に頼んだらアカンで高いから。普通の味噌ラーメンだけ」と釘を刺された。店に入り味噌ラーメンを3つ頼み、周りを見回すと美味しそうなチャーシュー麺を食べている客がいる。俺と寛平は「あんなん食べたいな」。「味噌ラーメンでもありがたいと思わな。あんたらさっきマヨネーズ舐めてたやろ」と嫁さんがピシャリ。目の前で調理している店の夫婦が笑っているんです。

大阪は売れてない芸人を育てる街

その後、寛平と話していると「あんたら吉本の人?」と聞かれたんですよ。「僕は今は進行係ですけど、漫才をやりたいんです」と答えると、寛平は「もう舞台に上がってます」。「お前は『マスター、配達に行ってきま〜す』だけやろ」とツッコミました。そして、また「チャーシュー麺食いたいな」と繰り返していると、「そんな聞こえるところで言わんといて。わかったわ。奢ったる」と、チャーシューをサービスしてくれたんです。

1週間後、その店へ3人で行くと、おっちゃんが「今日はチャーシューはまけへんで」。「この前ご馳走になったから今日はエエです」と俺は言ったんですけど、寛平がうちの嫁さんに「チャーシュー麺食べていい?」とねだる。「だから聞こえるところで言わんといて」とおっちゃん。結局、その日もチャーシューをご馳走になったんです。

「あんたら売れたらしょっちゅう店に食べに来てや」

大阪は、売れてない芸人を育てる街なんです。「売れや」「頑張りや」と言って、おまけしてくれるんです。

俺は関西ローカルの番組に出るようになり東京進出。漫才ブームで売れ、寛平も新喜劇で人気者になった。すっかりお世話になったラーメン屋のことを忘れていた頃、売れない時代の思い出の地を巡る番組のロケで、当時住んでいたアパートへ行ったら、ラーメン屋のことを思い出した。

その店に顔を出すと、夫婦は最近よくテレビで見かけるのは、絶対にあの時の2人だと噂していたらしいんですよ。「恩返しに来る言うて来ないな」とも話していたそうですが、「芸人さんは若い時は苦労するし、腹が減っていたんやろうね」と温かく迎えてくれました。そのことを寛平に伝えると、寛平も新喜劇の若い子らを連れて訪れたそうです。

今度、寛平は8月に福岡・博多座の舞台に立つらしい。俺も見に行こうと思っています。世界にひとつしかない芸を持つ間寛平の舞台を、皆さんもご覧になってはいかがでしょうか。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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