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『昭和猟奇事件大捜査線』第15回「“彼女”目当ての客が手をかけたのか? 殺された美人ママ」~ノンフィクションライター・小野一光

※画像はイメージです(画像)Blue Titan / shutterstock

「どこからかガスの臭いがする…」

東京都内にある盛り場の雑居ビルに出勤した柏倉知子(仮名、以下同)は、付近にガスの異臭が立ち込めているのに気がついた。

昭和30年代のうららかな春の日、時刻は午前10時過ぎのことだ。知子が臭いの元を辿ると、若いママが切り盛りするバー「ジタン」の裏口に行き着いた。

ママの井口メグミ(23)と顔見知りの知子は、鍵のかかっていない扉を開ける。すると、薄暗い電燈の下でメグミが仰向けに横たわっていた。声をかけるが返事はなく、近づくと彼女が死んでいるのが分かった。

「知り合いのママが死んでるんです。早く、早く来てください」

知子の110番通報に、所轄であるA署と警視庁本部から捜査員が駆け付けた。

約5坪の店の中央には3脚の椅子が並べられ、和服姿の死体が横たわっている。首には帯留めが1巻きされ、その上からネクタイでがっちり締められていた。美人ママで有名だったメグミの顔には、赤紫色のチアノーゼが出ており、絞頚による窒息死であることは一見して明らかだ。

彼女の着物の帯は解け、和服の裾は太股が見えるほどに乱れており、暴行を受けていることが推測された。下着は自然に脱いだ形で体の下に無造作に置かれ、足元に男物のチョッキ、2メートルほど離れた土間には、血のついたワイシャツが放り出されている。

死体には抵抗創がなく、着衣にも無理に引きちぎったような箇所はない。また、屋内が物色された様子もないようだ。ガスストーブは消えているが、直前までガスが放出されていたようで、あたりに臭いが残る。

呼ばれてもいないのに出頭

現場検証を行っていると、同じ棟でバー『山口』を経営している山口建夫が、捜査員に話し掛けてきた。

「殺されたママは今朝の5時頃まで、私の店で飲んでいました。酔い潰れてしまったので、私の店にいた3人の客に手伝ってもらい、4人で『ジタン』の裏口からママを運び込んだんです。そこで椅子を4脚並べて頭を表入口に向けて寝かせ、寒くなってはいけないので、そばにあったバーテンのチョッキやワイシャツなどを胸のあたりにかけてやり、保温のためにガスストーブにも点火しました。3人の客はその後、それぞれ自宅へ帰ったんですが…」

山口は3人の客について、田村祐作(24)、樋口実(23)、渡辺健司(21)であると明かした。

絞頚を2重に行うといった面識者によく見られる殺害状況や、一度は向かい合って話をしたような現場の状況から、捜査本部では犯人は〝濃鑑〟の面識者であるとの見立てをしていた。

そこで、当面は被害者を運び込んだ4人の男たちを犯人視する先入観を抱かない、との注意事項を周知したうえで、以下の捜査方針が立てられたのである。

○当夜の客筋洗い(特に独身者)

○濃鑑者の内偵(同一建造物内の宿泊者を含む)

○地取り聞き込み(目撃者の発見を重点に、早朝の通行者に当たる)

捜査員たちがそれぞれの担当箇所を回るなか、死体発見当日の夕方になって、メグミを店内に運び込んだ男の1人である渡辺が、呼ばれていないにもかかわらず捜査本部に出頭。昨夜の状況を説明している。

「午前0時頃に友達である田村と樋口とともに、『山口』に行き、そこでマスターの山口さんを加えて4人で飲みました。すると、午前2時半頃に『ジタン』のママがかなり酔った状態で店に来たんです。顔なじみのママが来たことで盛り上がり、午前5時頃まで飲みました。それで、酔い潰れたママを4人で『ジタン』に運んで、全員裏口から店を出ています。その後は、山口さんと樋口、私と田村の2組に分かれて、それぞれの自宅に帰りました。いまラジオで事件を知って、参考になると思って、出頭してきたのです」

それぞれの行動が明らかに

翌日は朝から改めてその4人に出頭を求め、現場で個別に状況を聞くことになっていた。捜査本部では、メグミが店で寝ていたことを知るこの4人については、まず〝お客様〟として扱い、別の客を含めた周辺の情報をすべて集めてから捜査する方針だった。そのため、自ら赴いた渡辺を深く追及することはなく、その日はすぐに帰宅してもらう。

捜査員たちは、犯行前夜の「ジタン」に、計13人の客がいたことを掴んでいた。そこで〝濃鑑者〟である彼らの行動を順次洗っていく。すると、メグミ自身の交友関係を含めて、全員がシロであることが明らかになった。

「こうなれば、あとは〝お客様〟たちの身辺捜査だな」

帰宅時に2組に分かれていたことから、山口と樋口、渡辺と田村の、それぞれの帰宅状況についての捜査が行われた。

すると、山口と樋口については、一緒に山口が両親と暮らすアパートへ帰っており、同じアパートの住人や、山口の両親からは、早朝の帰宅の確認が取れた。さらに、新聞報道を見たタクシー運転手が自ら名乗り出て、彼ら2人を車に乗せたと証言したことで、容疑性はより薄くなった。

一方、渡辺と田村についてだが、田村については、同じ寮の止宿者10人余りから、彼が午前6時頃に帰って来て、すぐに寝付いていたことが確認された。しかし、自宅住まいの渡辺については、完全に容疑性が取り払えるまでの証言を得ることができなかった。

というのも、渡辺の母親は「5時過ぎに帰って来てから、夕方までどこにも出かけていない」と主張するのだが、渡辺と同室で寝ている雇い人は就寝中で記憶になく、確証が得られなかったのだ。しかもその雇い人は次のようなことを話す。

「昨晩、渡辺が寝るとき、『あの朝いったん家へ帰って来て寝たけど、煙草が吸いたくなったので7時少し前にまた起きて、煙草を買いに出かけた。途中で10円しか持ってないことに気付いて、店まで行かずに引き返してきたけど、そのとき隣の安田さんが自転車の手入れをしていたんだ。もし警察の人が安田さんから俺の姿を見たことを聞けば、疑われることになるので困った。俺が煙草を買いに出かけたの、君は知ってるでしょ』と言っていました。でも私は、彼が煙草を買いに出たのは知りません」

実は地取り捜査員は、すでに安田に当たっていたが、彼は自転車の手入れをしていて、渡辺には気付いていなかった。だが、渡辺は姿を見られたと思っているようだ。これこそ「語るに落ちる」だろうと、捜査会議で取り上げられた。

この段階で渡辺に、女性を墓地に連れ込んで暴行し、それを示談で済ませた過去があることや、かつて被害者のメグミを口説いていたことがある、といった情報が集まっていた。だが、それだけではまだ弱い。

いざとなり抵抗されて…

そんな折、捜査本部に朗報が飛び込んできた。それは、メグミの膣内からごく微量の精液が検出され、その血液型の鑑定ができたとの知らせだった。

捜査本部はただちに4人の〝お客様〟に唾液の提供を求め、その結果、精液と同じ血液型は、渡辺だけとの結論に至ったのである。

「また呼ぶんですか。みんな喋ってあるんだけど。俺はクロではないよ」

任意同行を求められた際に、渡辺はそう嘯いた。だが、同行先が捜査本部のあるA署ではなく、警視庁本部の地下調室であることを知り、一気に顔が蒼ざめる。

当初は知らぬ存ぜぬで、通していた渡辺だが、2時間後には何も喋らなくなった。そこで取調官は押す。

「ママの体には重要な証拠が残ってたんだ。君から唾液をもらったね。あれは何のためにもらったか、分かる?」

渡辺は力なく頭を垂れた。彼が自供を始めたのは、それから間もなくのことだ。

「お前ら、変な気を起こすなよ!」

渡辺がメグミに手を出そうと思いついたのは、別れ際に樋口が口にした〝警告〟がきっかけだった。

田村も同じことを考えていたようで、「おい、引き返してママをからかおう」と誘ってきたが、1人で行為に踏み切りたい渡辺は、「そんなことはやめて、家へ帰って寝よう」と田村をなだめていた。彼は話す。

「一旦家に帰った私は、ふたたび『ジタン』に行きました。裏口から入ってママを起こすと、ママはすぐに目を覚まして椅子の上に座りました。私は4脚並んだ椅子の1つを引き、そこに腰を下ろしてママと向き合い、『どう?』と言うと、『いいわよ』と言いながら、自分から帯留めを取り、下着も自分で脱いだんです…」

そしてメグミは椅子の上に横になったが、いざというときになって、急に抵抗されたのだと語る。

「私はカッとなり、両手で首を絞めました。傍にあった帯留めを取って、首を1巻きして、がっくりしたママを相手に目的を遂げました。そこで生き返っては大変だと思って、ネクタイでその上をがっちり締めました。このとき悲鳴を一声上げましたが、そのまま完全にこと切れました」

その後、渡辺はメグミの口から出ていた血をワイシャツで拭き取り、おしぼりで彼女の股間を清めた。さらに、指紋が残りそうな場所を拭き取っている。

なお、ガスストーブについては、渡辺による自殺の偽装ではなくゴム管を踏んだときに火が消え、そのままガスが放出されていたことが判明した。

小野一光(おの・いっこう)
福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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