山下泰裕 (C)週刊実話Web
山下泰裕 (C)週刊実話Web

山下泰裕「私たちは一生懸命やってきました。よろしくお願いします」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第8回

「気は優しくて力持ち」のフレーズを地で行くように柔和な表情が印象深い山下泰裕氏。


無双の柔道家としてその言動も真面目で優等生的なものがほとんどだが、何事にも揺るがぬ境地に達するまでには、幾多の苦難を乗り越えてきた。


【関連】野茂英雄「あの監督の下ではやれないと思った」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第7回 ほか

今年4月11日、日本オリンピック委員会(JOC)と全日本柔道連盟の会長を兼任する山下泰裕氏は、自身の公式サイトでロシアのウクライナ侵攻に関するメッセージを発表した。


「柔道家であるプーチン大統領によるロシア軍の侵攻のニュースを聞くにつけ、心を痛めてきました」「柔道の精神、目的に完全に反するものです。全く容認することはできません」「愚かな行為が一日も早くやむことを願います」


翌日には取材に応じ、プーチン氏が来日時に東京・講道館を訪れた際の柔道家らしい振る舞いに比べて、「大きく変わってしまった」と批判した。


この発言に対しては「侵攻開始から50日も経つまで問題から逃げていた」「プーチンとは盟友だから批判を避けていたのか」などと非難する声もあった。


しかし、常日頃からマスコミは「五輪などスポーツの国際大会に政治を持ち込まない」「スポーツと政治は別物」と吹聴しながら、山下氏に政治的発言を求めるというのも、どこか筋の通らない話だ。


また、プーチン氏との親交があったのは確かだが、あくまでも国交をベースとした儀礼的なものであり、それを盟友などと言うのは、批判を前提とした恣意的なものでしかない。

選手権で無念の“痛み分け”

さらに、政治がアスリートへ及ぼす負の影響を誰よりも身に染みて知っている山下氏に対し、必要以上に政治的発言を求めるのは酷というものだ。

東西冷戦時代の1980年1月、前年に起きたソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議するため、アメリカのカーター大統領は同年開催のモスクワ五輪ボイコットを提唱した。


これに応じて日本がボイコットを決定したのは、開幕まで2カ月を切った同年5月のこと。五輪を目標に4年間の努力を続け、ボイコットを発表した当日も、トレーニングに専心していたに違いない代表候補178人は、夢が潰えることになってしまった。


そのモスクワ五輪で、金メダルの最有力候補と目されていたのが山下氏だった。大学2年、77年10月の日ソ親善試合からモスクワ五輪直前、80年4月の全日本選手権まで公式戦で132連勝(引き分けを含む)。79年12月の世界選手権(パリ)では、95㎏超級で大会初制覇も果たしていた。


モスクワ五輪に出場するか否か、JOCの方針を決定するために行われた「選手、強化コーチ緊急会議」の席で、山下氏は「この4〜5日は練習にも気合が入らない。JOCの先生の方々、私たちは一生懸命やってきました。よろしくお願いします」と、涙ながらに参加を懇願している。


そんな訴えもむなしく5月24日に日本のボイコットが正式決定すると、山下氏はよほど動揺したのだろう。翌日の全日本体重別選手権では、山下氏は相手が繰り出した奇襲技の「かに挟み」で左足腓骨を骨折し、引き分け扱いの「痛み分け」となった。


ちなみに、痛み分けとは「試合中にどちらかが故障をしたときには引き分けとする」という、かつては相撲でも採用されていたルールのこと。かに挟みも「ケガの危険が大きい」ということで、現在は禁止されている技である。

オリンピックに懸ける思い

翌日の新聞では「五輪不参加に続く悪夢」との見出しで負傷が報じられ、山下氏はそのまま入院となった。しかし、五輪開催の直前に退院すると、モスクワへ飛んで競技を観戦したというから、五輪への思いの強さがうかがえよう。

なお、このモスクワ五輪を60カ国余りがボイコットしているが、その多くはアフガンを支援する中東やアフリカのイスラム圏の国々であり、いわゆる西側先進国でアメリカに追随したのは、日本やカナダ、西ドイツ、ノルウェーぐらいのもの。ヨーロッパの多くの国々は開会式などに参加しなかっただけで、選手は競技に参加している。


そうした他国の事情を現地で目の当たりにしたことで、山下氏は余計に悔しい思いをしたのではないか。後年には「モスクワ五輪について語れということは、僕にとって最愛の人の死を語れと言っているのと同じです」とまで話している。


次のロサンゼルス五輪では、途中で右足を故障しながらも悲願の金メダルを獲得。引退までに203連勝、通算528勝16敗15分の記録を残し、国民栄誉賞にも輝いたが、そういった栄光の数々よりも、モスクワ五輪の悲劇のほうが今も強く心に残っているのだろう。


コロナ禍で、開催するかしないか悶着のあった東京五輪の直前にも、山下氏は「五輪に出たい選手はどれだけの思いでやっているのか。人生のすべてを懸けてやっている。そのことだけは少しでも理解してほしい。モスクワ五輪で幻の日本代表となった人たちは、今でも傷を癒やせないでいる」と語っている。


《文・脇本深八》
山下泰裕 PROFILE●1957年6月1日生まれ。熊本県出身。身長180センチ、体重128キロ。ロサンゼルス五輪・柔道無差別級の金メダリスト。現役時代の驚異的な戦績から「日本柔道界最強の男」と称される。