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『昭和猟奇事件大捜査線』第13回「雪の中で息絶えた元保険外交員女性 自殺か事故死か、それとも…」~ノンフィクションライター・小野一光

※画像はイメージです (画像)Galina V / shutterstock

昭和40年代の冬のある日のこと。

雪深い東北の某県では久しぶりの晴天となったことで、A町の柏木真一(仮名、以下同)は、樹木の枝払いのため、自宅近くの杉林へと向かった。

真一が県道から積雪を踏みしめながら、急斜面の杉林に降りたところ、視線の先に若い女が仰向けに倒れているのを発見する。驚いた彼は県道に駆け上がり、近くの駐在所に届け出た。

駐在所の巡査と、連絡を受けた捜査員が現場に急行する。そこで彼らが目にしたのは、30歳前後の女性が、左足を木の幹に引っかけ、足を広げて倒れている姿だった。彼女のコートやワンピースは、腰のあたりまでまくれ上がっている。

見たところ、女性は眠ったような表情で、外傷としては、鼻の左側に空豆大のかすり傷があるだけだ。

頭の近くには、彼女の持ち物と思しき茶色の帽子と、水色の化粧バッグが落ちていた。バッグの中には、所持金514円が入っている。

死体はただちに近くの病院で解剖された。その所見は次の通りだ。

○右手に凍傷があり、死因は寒冷によるもの

○胃の中に20錠近い睡眠薬が認められる

○死亡したのは発見前夜と推定される

死体発見現場の付近に人家はなく、斜面の上を走る県道も、昼はバスが通っているが、深夜は人通りが途絶える寂しいところである。

睡眠薬を飲んでいることから、自殺とも考えられるが、県道から斜面にかけて、雪の上に残されていた転落の跡には不自然さが見てとれた。また、事故死としては外傷が少ないため、凍死を偽装した殺人事件の疑いがあるとの見立てがされた。

そのため、所轄のY警察署に捜査本部を設置し、本格的な捜査が開始されたのである。

まずは被害者の身元を割り出すため、捜査員が外見や衣類の特徴を頼りに、周辺での聞き込みを行った。すると、ある農家の主婦から有力な情報が寄せられた。

「その人なら保険の外交をしている田辺さんじゃなかろうか。今は家出しているそうだけど、ご主人はたしかA町の××に住んでいるはずじゃが…」

借金返済のため自らの肉体を提供

さっそく夫ではないかと言われた田辺健司に会い、彼を連れて死体が安置された病院へと向かう。

死体の顔を見た健司は即座に、「妻に間違いありません」と肩を落とした。

これで被害者は、3カ月前に家出をした、元保険外交員の田辺千鶴(34)であることが判明した。

捜査本部は以下を重点とする捜査方針を立てる。

○被害者の身辺捜査

○交通機関への聞き込み

○現場付近の通行人、通過車両の捜査

○病院、薬局の捜査

○旅館、飲食店の捜査

千鶴は12年前に健司と結婚し、2人の子供を産んでいた。林業に従事する夫の給料が安いことから、2年前に保険の外交員となったが、この頃から外見が急に派手になり、厚化粧をして、男との交際が多くなってきたという。

彼女は1年ほどで外交員を辞め、飲み屋の手伝いをしていたが、生活費や自身の身を飾るために、高利貸しなどから約150万円の借金をしていた。

返済を迫られ、「どんなことでもします。あなたの気の済むようにしてください」と、自らの肉体を提供することもあったようだ。

そうした噂は田舎町ではすぐに広まる。やがて地元に居辛くなった千鶴は、子供を夫のもとに残して、家出をしてしまったというのが、一連の流れである。

捜査員は家出後の千鶴の足取りを洗い出す。すると彼女が、死亡直前までT町の飲食店で女中をしていたことを突き止めた。

さらに、夫に対して間もなく自宅に戻り、「きっと皆さんに会ってお詫びできる日があると思います」という手紙を出したり、暮らしていた部屋の障子紙を取り替えたばかりであるなど、自殺を選ぶ可能性を潰す証言が徐々に集まり始める。

同時に、病院や薬局などへの捜査も行われたが、千鶴が睡眠薬を買った事実はなく、家族や友人からも、彼女が睡眠薬を服用していたとの話は出てこない。

保険契約の獲得や借金のために、千鶴は数多くの男と関係を持っていた。そのため彼女を巡る男として、リストアップされたのは20人余り。各人のアリバイの確認などによって、ふるいにかける作業が続く。

不自然な保険の受取人の変更…

そうしたなかで、K村で村会議員をしながら、保険の外交員をしている山下常蔵という、48歳の男の存在が浮かび上がってきた。

常蔵は千鶴と接点があるうえ、彼女に息子が受取人となる生命保険を加入させていた。この保険については、最初の掛け金の支払いを常蔵がしており、さらに4カ月後には、保険の受取人を千鶴の息子から、自分の妻である美香子(46)に変更していた。

また、千鶴が外交員を辞めて飲み屋で働いていた頃、友達に次のような話をしていたことが判明する。

「私は金持ちの村会議員さんに世話になっているけど、あんた、週に1〜2回泊まれる部屋を貸すところを知らない?」

そのことから、千鶴と常蔵が肉体関係を伴う親密な関係であることは、間違いないとの結論に至った。

捜査本部では、常蔵の身辺を徹底的に洗うという捜査方針が立てられた。

捜査員は千鶴が間借りしていたT町の横峯家を訪ね、同家の娘である横峯基子に話を聞いた。

「そういえば、千鶴さんが家を出ていく前の日に、廊下に置いてある電話のベルが鳴り、私が受話器を取りました。たしか、K町からの電話だと言って、交換手が取り次いでくれたんです。やがて女の人の声で、千鶴さんを呼んでくれというので、彼女に電話を替わりました」

基子はその場を離れ、通話内容については知らないと説明したが、千鶴はその翌日に「用事がある」と外出している。いったい誰からの電話だったのか、捜査員は関心を抱いた。

時を同じくして、別の捜査員が、千鶴の保険外交員時代の同僚女性から、有力な情報を聞き込んでくる。

「私は昨年、千鶴さんに泣きつかれて、15万円を貸しました。でも彼女が家出をしたと聞いて、なかば諦めていたんです。そうしたら×日(外出当日)の夜に千鶴さんから電話があって、『あんたにはだいぶ迷惑をかけたけど、3万円なら今すぐ返せる』と話していたんです。今どこにいるか尋ねたんですけど、それには答えず、『そのうちに3万円持って行くから』と言って電話は切れました。電話を取ったとき、交換手がかけてきた市外電話の地名を言いましたが、別に気に留めていなかったので…」

地名までは記憶にないという。しかし、この情報によって、千鶴は外出前日に誰かの電話を受け、外出当日にどこかから、元同僚に電話をかけていたことが明らかになったのである。

この2本の電話の発信元を捜査するために、捜査本部は捜索差押令状を取り、地域を管轄する電報電話局に出向いたのだった。

「あいつが死ねば保険金が」

当時、市外電話の記録は、発信交換証という紙に記載されていた。捜査員はそれを1枚1枚めくって確認していく。

「あったぞ。これだ!」

それは2本とも、常蔵の家の電話番号だった。

つまり、千鶴は外出前日に、常蔵の妻と思しき女性からの電話を受け、外出当日の夜に、常蔵の家にいたことになる。

常蔵と美香子夫婦が暮らす山下家こそが、事件の鍵を握っているはずだ。

それ以降も捜査本部は状況証拠の収集に努め、ついに死体発見から3週間後には、常蔵と美香子の通常逮捕令状を用意して、彼らに任意出頭を求めたのだった。

当初は頑強に犯行を否認する2人だったが、逮捕状を執行され、最初に折れたのは常蔵だった。彼は逮捕翌日からぽつりぽつりと自供を始め、やがて妻の美香子もシラを切り通せなくなり、逮捕から10日にして、事件の全貌が明らかになったのである。

きっかけは、常蔵が千鶴に契約させた生命保険。その保険金の受取人が、千鶴の息子から美香子に切り替えられたことだった。

「これは、俺が田辺千鶴という女に契約させた保険だ。あいつが死ねば、保険金が入るんだけどなあ…」

常蔵がなんの気なしに呟いた言葉に、美香子はその女も夫と関係があったのだろうと直感し、ひどくなじったという。やがて一通り常蔵を責め終えた美香子は、あることを切り出す。

「死ねば保険はおりるけど、そんな簡単には死なないわ。お前はいつもヘマばかりしているから…」

その言葉が「やれるのならやってみろ」と、常蔵には聞こえたのである。実際、美香子もそう考えていた。

2人は千鶴に睡眠薬を飲ませ、凍死に見せかけて殺害することを計画する。

そこで美香子が千鶴にかけた電話は、次の通りだ。

「私、山下の妻ですけど。今度主人が飲み屋をやるんですが、私にはその経験がないので、千鶴さんなら大丈夫だろうと、主人が言うんです。もしお引き受けいただけるなら、一度家に来ていただけませんか」

悪魔の誘いに、千鶴は乗ってしまったのである。

小野一光(おの・いっこう)
福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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