辰巳ゆうと(C)週刊実話Web
辰巳ゆうと(C)週刊実話Web

『令和の“応演歌”』辰巳ゆうと~ターニングポイントになった路上ライブ(前編)新連載

――2018年のデビュー以降、シングルが軒並みオリコン1位を獲得。また、日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞されるなど大活躍です。


しかも、まだ24歳と若い。演歌に触れる機会が少ない年代のようなイメージがあります。デビューに至るターニングポイントはあったのでしょうか?


【関連】『紅白』『レコ大』から演歌歌手が消える…「誰一人、ビッグヒットがない!」 ほか

辰巳 2つあります。1つはストリートライブです。大学入学を機に生まれ育った大阪から上京しました。レッスンは受けていたものの、デビューは確約されていなかったんです。大学2年の頃、事務所の方からストリートライブをしてみないかと提案され、街角で歌うようになりました。当初はあまり知らない東京の街で立ち止まり、僕の歌声を聞いてくれる人がいるのだろうかと不安でした。案の定、最初は誰も立ち止まってもらえなかった。その時、僕がいかに恵まれた環境で歌ってきたのかを痛感しましたね。元々、おじいちゃん子で、祖父にカラオケ喫茶へ物心がつく前から連れて行かれ、演歌が子守唄のような環境で育ったんです。その後、カラオケ教室に通いましたが、両方とも年配の方が多く、演歌を歌っているだけで可愛がってもらい、聴いてもらえるのが当たり前の環境でしたから。


下町や都心部など、さまざまな場所でのストリートライブを重ねました。すると僕の歌を聴いてくれた方が、次のときにはお友達を連れてきてくれた。そうして段々と観客の方が増えていったんです。中でも赤羽は思い出深い場所です。真冬にジャケットとシャツだけで歌っていると、その姿を見かねた観客の方が温かいお茶やおにぎりを差し入れてくれたことがありました。まさに演歌の世界ですよね。そうした温かさがあったからこそ、続けられました。赤羽では1年間でお客さんが徐々に増え、最終的には20〜30人ものお客さんが集まるまでになった。デビューが決まった際も、赤羽の街角で観客の皆様に最初にデビューの報告をしたんです。何者でもない大学生の歌声を聴いて応援してくれたことで、歌手生命の恩人になってくれた方々に最初に報告したかったからです。今でも当時のお客さんがコンサートに来てくれます。その度に当時のことを思い出しますし、より大きな会場でコンサートを開けるように成長し、恩返しをしたいなと思いますね。

事務所カラオケ大会での優勝

――もう1つのターニングポイントは?

辰巳 中学1年で出場したカラオケ大会で優勝したことです。中学校に入学すると、声変わりの時期を迎え、どう歌えばいいか分からず悩んだんです。入部した野球部も楽しく、甲子園を目指そうかと思ったほどです。でも、現在所属している事務所のカラオケ大会で優勝し、声をかけていただいたお陰で、幼い頃から目指していた演歌歌手への道が開けたように感じ、声変わりの時期を乗り越えることができました。


ただ、思春期になると友だちの多くが色んな音楽に興味を抱く中、1人だけ演歌歌手を目指していることが知られたら恥ずかしいと悩んだこともあります。高校1年から月に1回上京し、事務所のレッスンを受けていましたが、そのことを知っていた友だちはほとんどいません。僕としては大阪にはまだない洋服屋さんで買い物ができることが毎回楽しみだったんですけどね(笑)。ですから、事務所に声をかけていただき、レッスンを受けさせていただかなければ、思春期の葛藤を乗り越えられなかった。そして、赤羽をはじめ、ストリートライブで支えてくれた皆様がいたからこそデビューできました。本当に感謝しています。(以下、後編へつづく)


 
辰巳ゆうと(たつみ・ゆうと) 1月9日、大阪府生まれ。幼い頃より祖父の影響で演歌に親しみ大学生でデビュー。2018年日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。特技は野球。今年7月6日にはセカンドアルバム『辰巳ゆうとセカンド~雪月花~』をリリース。