島田洋七 (C)週刊実話Web
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憎めない天然の友人・南里くん~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

皆さんの友達の中にも1人や2人、ちょっとヌケているというか、天然だけど物凄く良い人がいるんじゃないですか。俺の友達だと、中学からの友人の南里くんがそうです。彼は身長が180センチ以上あり力持ち。でも、ちょっとヌケているところがあるんですね。


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俺は中学の時、佐賀でばあちゃんに育てられていたでしょ。家が貧しくて食べ物に困ることもあったんです。そんな時、家が農家の南里くんがカバンいっぱいにジャガイモを詰めて学校へ持って来てくれたことがあったんです。


でも、運悪くその日は月1回の荷物検査だった。カバンを開けた先生から「これはなんだ?」と聞かれた彼は「徳永君(俺の本名)にあげようと思って持って来ました」。「それにしても、こんなにたくさんはいらないだろ」と不信がられると「ジャガイモにも1つひとつ顔があるんです」とうまいこと返したんです。


冬になり、今度はお餅をカバンに詰めて持って来てくれた。またも荷物検査の日にです。先生から「こんなにたくさんはいらないだろ」と再び言われると「徳永君がお餅を食べたいと言っていたので持って来ました。お餅にもいろんな顔があるんです」とジャガイモの時と同じように返した。すると先生は「丸い餅は全部一緒の顔だろ」と切り返していましたね。


中学卒業目前になり、どこの高校へ進むのかと彼に尋ねると、「俺は大学へいく」。「大学は高校を卒業しないといけないよ」と指摘すると、「農業大学にいく。もう先生が手続きしてくれた」と言い張ったんですよ。

3リットルの蓮根と丸めた藁2つ

俺は野球で広島の広陵高校へ進学し佐賀を離れた。夏休みに佐賀へ帰った際、「本当に大学へいってるんか?」と彼に尋ねると「農業を2年間学ぶ学校だった」。そういう学校を当時は農業大学と呼んでいたんです。彼はそれを本当の大学と勘違いしていたんですね。

20年ほど前、嫁さんのお母さんの介護もあり、俺は佐賀へ拠点を移しました。でも、講演会やテレビなどの仕事で家を離れることが多かった。ある日、彼から電話が掛かってきた。


「新車の〝トンボ〟という車を買ったから佐賀空港まで迎えに行くわ。あと、おいしい〝3リットル〟の大きな蓮根も用意してあるから」


佐賀空港で彼の車を見ると、大きなワンボックスカーで、後ろに『トンボ』ではなく『ターボ』と英語で書いてあった。それをツッコむと、「ターボって読むの?」とビックリしてましたよ。次にトランクを開けて、蓮根を見せてくれたんです。確かに物凄く大きな蓮根。佐賀は蓮根が有名なんです。でも、その箱をよくよく見ると「3L」と書いてある。サイズ表記で「L(エル)」があるでしょ。「3L」を彼は「3リットル」だと思い込んでいたんです。


また別の日、嫁さんから電話が掛かってきた。なんでも彼が丸めた藁を届けに来たそうなんです。しかも2個。わらは草除けや肥料になるので、庭で嫁さんとトマトなどを育てているから嬉しいんですけどね。彼に電話して「2個もどうしたん?」と聞くと「お歳暮!」と話してましたよ。お歳暮で藁をもらったのは俺くらいじゃないですかね。


南里くんは、本当に憎めない良い友達です。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。