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『昭和猟奇事件大捜査線』第12回「妻子も愛人もいるやり手の夫が、なぜ? 車とともに消えた男」~ノンフィクションライター・小野一光

※画像はイメージです (画像)NaMo Stock / shutterstock

「車を車庫に入れてくるから――」

そう口にしたあの人が、帰って来ない。

佐藤瑠衣子(31=仮名、以下同)は、さっきまで一緒だった合田勇作が、家に戻って来ないことに不安を感じていた。

昭和40年代の愛知県某市での出来事である。

当時38歳で会社を経営する勇作には妻がいた。だが、行きつけのバーで出会った瑠衣子に一目惚れし、熱心に口説いた末、愛人として月々10万円の手当と引き換えに、関係を持つようになる。夫と離婚して当時バツイチだった瑠衣子は、子供を実父に預け、不安定な生活を送っていたが、勇作との契約でそれが解消されており、互いにとって都合のいい関係を続けていた。

さらに3カ月前には勇作の妻が家出をしたことから、瑠衣子は誘われるまま、彼の家で同居を始めており、実はこの日、彼女の妊娠が分かったばかりだった。

このまま裕福な勇作の本妻になることを望む瑠衣子にとっては、彼との同居で妻の座を勝ち取り、さらには絆となる子供が出来たことを知るという、記念すべき日でもあったのである。

家から車庫までは200メートルほどの距離。いつもなら10分程度で戻ってくるのに、いつまでも勇作は戻って来なかった。

心配になった瑠衣子は車庫に行ってみたが、そこに車はない。もしかして家出した妻のところに行ったのではと、彼女が住むアパートの近くまで行ってみたが、それらしい車は停まっておらず、瑠衣子はまんじりともせずに夜を明かした。

「車庫に血が流れてます」

翌朝、会社の従業員が家にやって来て報告する。瑠衣子が慌てて駆け付けると、車庫の中には従業員が言う通り、血痕がたくさん落ちており、勇作の腕時計や草履が散らばっている。瑠衣子はすぐに近くの派出所に駆け込んだ。

広い空き地に作られた車庫を、急行した捜査員が見分したところ、床に敷き詰められた砂利には血が染み込み、周囲の壁や折り畳み椅子などにも血が飛び散っていた。また、そこには髪の毛も付着している。

車庫内の様子は明らかに格闘の跡であり、飛び散っている血痕は勇作のものと同じくB型の血液型だった。そのため、彼は車庫内で何者かに殺害され、あるいは傷つけられ、どこかに連れ去られたものとみて、所轄のN署に捜査本部が設置され、本格的な捜査が開始されることになった。

おやじが死ねば4000万入る…

聞き込みの結果、数軒の近隣住民が男の呻き声を聞いていることが明らかになる。その際に見知らぬ男の姿と白い乗用車が目撃されていた。現場からはまず白い乗用車が、それに続いて勇作の黒い乗用車が立ち去っており、犯行は複数の者によることが予想された。

「まず被害者を捜せ」

捜査本部は勇作と彼の車について全国に手配し、病院や知人などへの聞き込みが進められた。

その一方で、勇作の身辺捜査を行った結果、彼は人柄が温厚で、人から恨みを買うようなことはないとの情報が次々と寄せられる。

そこで次に疑われたのは、彼にまつわる痴情のもつれについてだ。

勇作の本妻である合田美奈代(37)は、2カ月ほど前に、勇作との間にできた息子(11)を連れて家を出て、同じ町のアパートで暮らしていた。

捜査員が美奈代の身辺について捜査したところ、この1カ月半前に、彼女が勇作の会社を訪れ、勝手に売上金、小切手や土地、保険の証書などを持ち出したため、勇作から返済を求められていたことが分かった。

美奈代の友人は語る。

「彼女は私のところに来るたびに言っていました。『おやじ(勇作)が憎い。おやじが死ねば4000万円くらい保険金が入る』と…」

さらに美奈代が住むアパートで聞き込みをしたところ、彼女の隣の部屋に内田達也(34)という男が住んでおり、この男は美奈代の紹介で3カ月前に入居。彼女と肉体関係があるとのことだった。

また、つい1カ月前には内田のもとに、平野三郎(24)という男が転がり込み、2人で定職を持たずにぶらついていた。美奈代は半月ほど前、内田に白い乗用車を買い与えており、内田と平野はその車を乗り回しているとの情報が、捜査本部に上がってきた。

これらの情報から、美奈代には殺人の動機があり、現場の状況から彼女だけの犯行とは考え難いこと、内田や平野といった彼女と近い間柄の男が協力した可能性が高いことなどが、捜査本部で協議された。

そこでまずは、美奈代に任意出頭を求め、事情聴取を行うことになった。

情報と異なる彼女の供述…

すらりとした長身の、人目を引く美人である美奈代は、警察に呼び出されるのを覚悟していたのか、淀みなくすらすらと話す。

「あの人が女を作ってから、私との間には溝ができていました。女と縁を切るように泣いて頼みましたが、あの人は聞き入れません。それでとうとう、その女を家に引きずり込んできたので、私は我慢できなくなって、子供を連れて家を飛び出したんです」

美奈代は説明を続ける。

「半月ほど前から、あの人は何度も私の部屋へ土足のまま上がり込み、離婚届を出せと言って、殴ったり蹴ったりしてきました。それを止めに入った内田さんや平野さんにまで怒鳴り散らすのです。でも私は我慢しました。ここで離婚届に印を押せば私は丸裸になり、子供を抱えてどうやって暮らしていけばいいか、分からなかったからです。内田さんや平野さんは、ほんとうに私に同情してくれて、ありがたく思っています」

美奈代は事件の夜について、「内田さんと平田さんが『ちょっと車を貸してくれ』と言うので、貸しました。それから風呂に行き、アパートに戻りましたが、2人はいませんでした。私は午後11時頃に寝ましたが、内田さんや平野さんはそれきり帰って来ません。翌日の午前中に内田さんから電話があり、車が故障して動かないと言っていたので、あの人たちは一緒にいると思います」と話した。

彼女の供述内容は、捜査員が集めてきた情報とは異なっていた。というのも、同じアパートの住人が当日午後11時半頃に2〜3人の者が階段を上り、内田と美奈代の話し声を聞いていたのだ。そして、しばらくして、2〜3人の者がアパートを出て行ったという。

だが、捜査員はその場で美奈代を追及せず、一旦帰宅させたのだった。

「周辺の証拠を固めろ。美奈代の追及はそれからだ」

捜査幹部が檄を飛ばす。

まず車庫内のおびただしい血の飛散状況から、内田たちが返り血を浴びていることが考えられたため、彼らが住むアパートでのルミノール検査が行われた。すると、階段の上り口に2カ所、廊下に15カ所の血痕が認められた。さらに捜索差押令状を取って、内田と美奈代の部屋の捜索と、ルミノール検査を行ったところ、内田の部屋から多量の血痕のついたパジャマの上着が発見され、部屋一面にB型の血液反応が現れた。

捜査本部はその日のうちに、内田と平野について、傷害事件の被疑者とした逮捕令状を取り、全国に指名手配したのである。

「事件のことは全然知らない」

その翌日、内田たちが逃走に使った白い乗用車が、隣県の路上に放置されているのを警察官が発見した。車内はきれいに水洗いされていたが、ルミノール検査により後部シートに血液反応が認められ、勇作の血液型と一致したのだった。

その4日後、捜査本部があるN署に内田が出頭してきた。聴取に、彼はうそぶく。

「俺は何もやっていないということを言いに来た。事件のことは全然知らない。美奈代に電話をかけて、勇作さんが行方不明になったのを初めて知った。(勾留期限上限の)20日間、頑張りゃいいんだろう」

捜査本部は容疑否認のまま、内田を傷害容疑で通常逮捕した。そして同時に、美奈代に対して再度の任意出頭を要請したのである。

「内田が捕まったぞ。そろそろ本当のことを言ったらどうだ」

捜査員の言葉に、美奈代は青ざめた顔で俯く。彼女の黙秘も、その日の夕方までが限界だった。

「これは、内田さんと平野さん、それに私の3人が相談してやったことです。私が、『早くあの人を殺って』と言ったので、内田さんたちが、あの人を始末したのです…」

保険の外交員をしていた美奈代は、同僚と温泉旅行に行った際に、現地で乗ったタクシーの運転手だった内田を、ホテルに誘ったことで出会う。以来、交際を続けていた彼に、勇作との離婚話で揉めていることを相談。財産を得るためには殺害しか方法がないという話になり、内田の運転手仲間の平野を誘い、勇作を鉄パイプで襲って殺害する計画を立てたのである。

美奈代の逮捕により、内田も自身の逮捕から1週間後に自供を始めた。

「勇作さんの死体は、車もろともKダムに沈めました。犯行に使った鉄パイプもダムに投げ捨てました」

2日後、Kダムの水中から、後部トランクに勇作の死体が入った、黒い乗用車が引き揚げられた。

その時点で平野は逃走を続けていたが、美奈代と内田は、愛憎の決着の代償として、殺人と死体遺棄容疑で再逮捕されたのだった。

小野一光(おの・いっこう)福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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