島田洋七 (C)週刊実話Web
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たけしと素っ裸で食べた屋台ラーメン~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

1986年にたけしとたけし軍団がフライデー襲撃事件を起こしました。その後、たけしは沖縄の石垣島にしばらく身を潜めていたことがあった。実は石垣島へ行く前、伊豆の旅館に滞在していた時期もあったんですよ。


事件後、たけしから「今、伊豆の旅館にいるからちょっと来い」と電話が掛かってきた。なんでもガダルカナル・タカのお姉さんの嫁ぎ先の旅館とのことで、旅館の電話番号をメモし、当時住んでいた所沢から車で向かったんです。なんと車で4時間近くも掛かりましたね。旅館に到着したのは深夜0時を回った頃でした。


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たけしがいる部屋へ案内されると「本当に来たのかよ」。4時間も掛かって着いたのに、そう言われて思わず吉本新喜劇のようにズッコケました。


部屋にはたけしの他、付き人が2人いるだけ。24時間露天風呂に入ることができる旅館だったから、露天風呂で酒でも飲もうということになった。付き人がウイスキーの水割りをつくり、俺らは風呂に入りながら、湯船に浮かべた桶に置かれた酒を飲んでいた。喋りながら飲んでいると「洋七、さっきからウイスキーの温泉割りを飲んでいるぞ」とたけしが言うんです。気がつくとグラスがお湯に浸かっていたんです。酔いで手が下がりグラスが風呂に浸っていたんですね。


「さっきから風呂のお湯が減ってきたと思ったんだよ」とボケるから、「そない減るか!」とツッコミました。そうこうしていると、外から夜鳴きそばの屋台の音がする。たけしは6時半くらいに夕飯を食べたきり。俺も途中でパンを食べたくらいだったから、お腹が空いていたんです。

裸の男2人が道端で椅子に座ってラーメン

露天風呂のドアを開けた道端にちょうど屋台が止まっていたから、2人で股間だけタオルで隠して、食べに行ったんです。「2つください」と頼むと、屋台のおっちゃんはこっちをチラッと見てからすぐに目をそらし「あなたたちは何やっているんですか?」と聞いてきた。たけしが「裸族です」と答えると「裸族様ですか!」だって。

テレビで見たことのある顔の2人が、裸でラーメンを頼んで混乱したんでしょうね。以降、一切こっちを見ることなくラーメンを作り終えると、椅子を2脚だけ置いて、次の場所へ移動してしまった。やっぱり、屋台はその前で椅子を並べて食べているから絵になるんですよ。


裸の男2人が、道端で椅子に座ってラーメンを食べている姿は滑稽ですね。そこに近くの旅館で仕事を終えた60歳くらいのおばちゃん2~3人が偶然通りかかった。俺らの姿を見たおばちゃんらは「あんたたち、こんなところで裸でそば食べて行儀悪いわね」「いや、さっきまで屋台があったんですよ」「そんなのどこにもないじゃない。中で食べなさい」。怒られた俺らは仕方なく、裸のままタオルで股間を隠しながら、椅子とラーメンを抱えて露天風呂に戻り食べましたよ。


たけしくらいのスターでも道端で裸でそばを食べていたら、誰だか分からんもんですね。しかし今は、事件を起こしたら芸能界から消えていくのに、裁判が終わるとますます忙しくなっていたのは、さすが戦後最大のスターだと思いますよ。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。