(画像)David Lee/shutterstock
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今井雄太郎「何が良かったか? うーん、分かりません」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第4回

水島新司の漫画『あぶさん』では主人公・景浦安武の飲み友達として登場した今井雄太郎。


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日本プロ野球史上14人目、昭和最後の完全試合達成者として球史に名を残す一方で、「酒仙」と呼ばれるほど酒のエピソードには事欠かない。


1978年8月31日、対ロッテ戦(宮城球場)で完全試合を達成した阪急ブレーブス(当時)の今井雄太郎。日本プロ野球界ではこれまで16人が完全試合を達成しているが、投手が打席に入らない指名打者制の試合となると、今井の他には今年4月10日に達成した千葉ロッテの佐々木朗希しかいない。


ただし、佐々木が最速164キロの直球と落差の激しいフォークボールで三振を奪っていくのに対し、今井の投球スタイルはまったく真逆。佐々木は27個のアウトのうち19個が三振だったが、今井の三振はわずか3個で、あとは内野ゴロ18、内野フライ4、外野フライ2という内容である。


シュートとシンカー、その中間のシューシン(今井自身の命名)を投げ分け、打たせて取るピッチングが今井の持ち味であり、直球については「おそらく130キロ台だった」と本人が振り返っている。


中越高校時代はほとんど無名で、卒業後には新潟鉄道管理局(現在のJR東日本新潟支社)に入社。貨車の連結係という重労働をこなしながら野球を続け、70年のドラフト2位で阪急ブレーブスに指名されたのは、「社会人野球でたまたま好投したのが目に留まったのではないか」と今井自身は謙遜する。

最後だからとビールを飲ませる…

一方、当時のスカウト担当者は、今井の仕事場での様子から「弱音を吐かずに黙々と働いていて、きっと鍛えれば使い物になる」と、その真面目さを見込んでの指名だったと話している。

だが、人柄の好さだけで成功できないのがプロの世界であり、今井はなかなか一軍で活躍できずにいた。


入団7年目までの一軍成績は6勝8敗。二軍の試合やブルペンでは好投を見せながら、いざ一軍のマウンドに立つと四球を連発して痛打を浴びることを繰り返した。極度のあがり症のせいで、その頃の今井は「ブルペンエース」「ノミの心臓」などと呼ばれていた。


これを見かねた投手コーチの梶本隆夫は、78年5月4日、対南海戦の試合前、先発予定の今井にビールが入った大きな紙コップを差し出した。


「試合前ですから、いりません」と断る今井に対し、梶本は「どうせ先発するのはこれが最後やから」と、半ば強引にビールを飲ませたという。


実はその数日前のこと、普段はおとなしいくせに、酒が入ると人が変わって陽気になる今井の様子から、上田利治監督がコーチ会議で「試合前に一杯飲ませてみたらどうや」と、半ばヤケクソ気味に提案していたのだった。


しかし、これが今井の運命を変えることになる。酒で気が大きくなったせいか、とにかく7回を投げて勝利投手となったのだ。この結果から、以後も周囲は「飲んで登板」を奨励。今井はそこでも勝利を重ね、自信をつけるとビールなしでも勝てるようになっていた。


あまりの変貌ぶりから後日には「不正投球疑惑」まで持ち上がり、汗っかきの今井がマウンド上でしばしば眼鏡に手をやることから、「眼鏡に松ヤニでも仕込んでいるのではないか」と審判に調べられたこともあった(結果はもちろんシロ)。

優勝したかのような胴上げ

完全試合を達成した当時のロッテは、有藤通世やレロン&レオンのリー兄弟らが並ぶ強力な陣容から「ミサイル打線」と呼ばれていた。しかも、先発相手は球界を代表する名投手の村田兆治。それでも今井は「村田さんよりも先に点を取られないように」と丁寧に投げ続けた。

凡打の山を築きながら試合は進み、7回ごろには誰もが完全試合を意識し始めたが、今井が緊張から崩れるのを危惧した上田監督は、他の選手には普段通りに振る舞うように伝えたという。


そうして迎えた9回裏、試合は5-0で阪急のリード。今井が投げたちょうど100球目、最後の打者を投ゴロに仕留めると、マウンドにチームメートが駆けつけて「雄ちゃんおめでとう!」と、まるで優勝したかのように胴上げが始まった。


この時の投球を振り返り、今井は「何が良かったか? うーん、分かりません。シュートかな?」と控えめに語っている。


ただし、酒を飲むと人が変わるのは相変わらずで、酔っ払うと阪急の大エースだった山田久志に対して、「ヤマさんも完全試合はやったことがないでしょう」と絡んだそうで、これが始まると酒席はお開きの合図だった。


完全試合達成後、阪急百貨店の専務が今井を訪ねて「関係者に配る記念品を作るように」と勧めてきた。「ゴルフでもホールインワンをすれば記念品を作るのだから」と、言われるままに絵皿時計を発注したところ、その代金は計180万円!


当時の今井の年俸は300万円足らずだったそうで、にもかかわらず承諾してしまう今井のお人好しは大概のものだが、身内ともいえる今井さえも商売のネタにする百貨店側も、さすが浪速の商人といったところか。


《文・脇本深八》
今井雄太郎 PROFILE●1949年8月4日、新潟県出身。身長177センチ、体重80キロ。1970年にドラフト2位で阪急ブレーブスに入団。通算130勝112敗、10セーブ。最多勝利2回。最優秀防御率1回、ベストナイン1回。