武豊「勝っても驚きはしなかった。奇跡でも何でもないと思う」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第3回
日本競馬界きってのスター騎手といえば、やはり武豊をおいて他にない。
1987年のデビューから35年、数々の記録を打ち立て、50歳を過ぎた今もなおGⅠ戦線をにぎわせて、競馬界をけん引するトップの1人として活躍を続けている。
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私事で恐縮だが、現在のライターという仕事を選んだきっかけの1つに、武豊の存在があった。
ことさら競馬に入れ込んでいたわけではない。学生時代、進路に迷っていたさなか、友人が「1学年下の武豊がムチ1本で1億円稼ぐなら、俺らはペンで稼ぐしかない」と言い出して、自分も活字系メディアを志したのだ。
くだらない戯言ではあったが、とはいえ当時の武はデビュー3年目の新人でありながら、それぐらいにインパクトのある存在だった。
弱冠20歳にしてGⅠ4勝を挙げた武は、年間通算133勝でJRA全国リーディングを獲得。やることなすことすべてに「史上最年少」「史上最短」の記録が付いてくる状況は、今で言うなら将棋の藤井聡太を見るようなものだった。
単に好成績を挙げたというだけではなく、武は競馬そのもののイメージも一新した。武以前にも〝怪物〟ハイセイコーが少年誌の表紙を飾るほど人気を得たことはあったが、これは「地方出身の馬が中央で活躍する」という立身出世物語がウケたのであって、競馬そのものが世間に受け入れられたわけではない。
『有馬記念』をラストランに…
一般の認識として、競馬場や場外馬券売り場へ行くのは「特殊な人たち」であり、年間売り上げを見ても1980年の中央競馬は約1兆3000万円。これは競艇の約1兆6000万円を下回り、競輪の約1兆2000万円とも大差ない。ハイセイコーブームは73~75年ごろのことだが、それを経てもなお中央競馬は、あくまでも公営ギャンブルの1つとして見られていたのだ。
「競馬場に若者が増えた」と言われるようになったのは、90年前後のこと。ハイセイコー以来の「第2次競馬ブーム」が起きた要因としては、世の中がバブルに浮かれていたことが挙げられるが、それ以上にJRAによるイメージ戦略の成功が大きかった。
そして、このブームを広報役としてけん引したのが、競走馬では〝芦毛の怪物〟オグリキャップであり、騎手では武だった。1つのピークとなったのは、90年12月23日の有馬記念。オグリキャップ〝奇跡のラストラン〟であろう。
同年5月13日の安田記念で初めてオグリに騎乗した武は、2着ヤエノムテキに2馬身差をつけるコースレコードで圧勝していた。
だが、その後のオグリは岡潤一郎が騎乗した宝塚記念で、単勝1.2倍の1番人気に推されながら、勝ったオサイチジョージに3馬身半差をつけられての2着敗退(武は直前の天皇賞で勝ったスーパークリークに騎乗予定だったが、故障で出走回避)。秋には増沢末夫を主戦に迎えて天皇賞、ジャパンカップに挑んだが6着、11着と大敗していた。
この結果により「オグリは燃え尽きた」という声が高まり、実際なかなか調子が上がらないことから、陣営も有馬記念をラストランに定め、最後の騎乗を安田記念以来となる武に依頼した。
勝利の可能性は低いとみられていた
そしてレース当日、オグリは単勝4番人気。同年のクラシックレース優勝馬が出走しない手薄なメンバーの中、多分に「引退ご祝儀」的な投票もあったことを思えば、この順位は相当に低いものだった(1番人気は同年の菊花賞2着のホワイトストーン)。つまり、勝利の可能性は低いとみられていたわけだが、そんな予想に反して武が手綱を取ったオグリは、4コーナーで先頭集団に並びかけると、最後の直線で抜け出し、追撃をしのいで1着でゴールを駆け抜けた。
メディアは「オグリ奇跡の復活」と煽り立てたが、実際には前半の超スローペースから一転して後半ハイペースになる異質なレース展開の中、それを見切ってしっかり折り合いをつけ、オグリの力を100%発揮させた武の騎乗によるところが大きかったのではないか。
後年、武はこのレースを振り返って「別に謙遜してるわけじゃなく、強い馬が走りやすいように走らせただけなんですよ」「勝っても驚きはしなかった。奇跡でも何でもないと思う」と語っている。
だが〝天才〟武豊でなければオグリを勝たせることができなかった可能性は高く、また武とオグリという競馬界の2大スターがそろったからこそ、日本競馬史に残る名場面が生まれたに違いない。
《文・脇本深八》
武豊 PROFILE●1969年3月15日、京都府出身。身長170センチ、体重50キロ。1987年3月1日(1回阪神2日)、アグネスディクターに騎乗してデビュー。同年3月7日(1回阪神3日)、ダイナビショップに騎乗して初勝利。
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