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初めて入った寿司屋の大将から花代50万円が!~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

漫才ブーム後、姫路で営業があり、翌日も岡山で仕事があった。姫路の営業を終え、大好きな寿司を食べようと街を歩いていたら、新装開店の寿司屋の前を通り掛かった。すると店員さんに見つかって「洋七さん、今日が開店なんです。寄っていってください」と声を掛けられ「それなら縁起物やから寄らせてもらうわ」と、洋八、マネジャー、付き人の4人で入りました。

店内には30人くらいお客さんがいました。俺は寿司屋で必ずカウンターに座ります。従業員や地元の人と話すことでその土地のことが分かるし、一般の人でも1つや2つ面白い話を持っているもので、ネタにすることがあるからです。

大将が「新装開店記念にB&Bを呼んだんです」と大きな声で自慢するから、俺は「今たまたま通りかかっただけでっせ」とバラすと、店内は沸きましたね。

そして、すべて食べ終わり会計しようとすると「今日はお代はいらないです。サインだけお願いできますか?」と大将。「お代は払います。商売やからね」ときちっと支払いました。芸人をやっていると、飲み代を「ただにします」と言われることもありますけど、俺は絶対に払います。

店を出ると、大将と奥さんが駆け寄って来た。寿司屋の裏に新しい家を建てたらしく「ちょっとのぞいていってください」とのこと。俺らはホテルで寝るだけだったので、その家にお邪魔するとキレイな座敷がありました。そこにいた大将のお婆さんが「新しいから泊まっていってください」と勧める。丁重にお断りしたんですが、それでも「泊まっていってください。一生の記念になります」と家族全員に懇願された。無下にできないので、とりあえず一杯飲むことにしました。

「あめかジュースでも買い」

俺は、ばあちゃん子だった昔話やらをしていると玄関口から「〇〇布団店です」の声がした。泊まるとは言っていないのに、わざわざ新しい布団を買ってくれたんです。そして、三度「泊まってください」と頼まれたので根負けしました。初めて訪れた店で泊まったのなんて、後にも先にもその時だけですよ。

翌日、岡山へ向かう支度をしていると「あめかジュースでも買い」とお婆さんが1万円札を握らせる。当時、俺は35歳くらいで孫に見えたんでしょう。「いらんて。ちゃんと仕事しているから」と断っても、昔のお婆さんですね…「新幹線に乗ればあめかジュースが欲しくなるから」と。仕方なく受け取りました。

帰り際、大将から封筒に入った礼状を手渡されました。新幹線に乗って、封筒を開けると手紙の他に花代として50万円が包まれていたんです。手紙には「前の店にも何人か芸能人の方がお見えになりましたが、お代はいらないですと言うとそのまま帰る方が多かった。でも、洋七さんは商売だからときちんと払っていただいて。これでこの店は流行ります」という内容が綴られていました。

50万円なんて受け取れないでしょ。岡山に着いて、弟子だけ姫路に戻らせ、「この50万でお客さんにサービスしてください」と伝言を残し、お返ししました。

初めての人の家に泊まるなんて体験ができたのも芸人だからでしょうね。芸人は身近に感じてもらえる。そこが好きなところです。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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