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菅野美穂『NUDITY』VS藤田朋子『遠野小説』“ザ・タブー写真集”撮影秘話

菅野美穂、藤田朋子
菅野美穂、藤田朋子 (C)週刊実話Web

世間が受けた衝撃度でいえば、宮沢りえの『Santa Fe』にも劣らなかったのが、1997年に発売された菅野美穂の写真集『NUDITY』だ。

「20歳の誕生日に発売され話題になりました。記者発表の席で唐突に涙を見せたり、事前に内容についての情報をスクープした週刊誌を批判するような発言もあり、スキャンダラスに報じられたことで、より注目度が増し大ヒットとなりました」(芸能記者)

全144ページのうち、50ページ弱がヌードという満足度の高さ。何より等身大の菅野を写したプライベートショットに限りなく近い、生々しさが大ヒットの要因でもあった。

「外国の自然の中、まるで天使か妖精のような姿が収められた、宮沢りえの『Santa Fe』と比較すると、撮影場所は菅野の自室と思われる部屋が多く、日常感でいっぱい。ベッドの上で美しい豊満をはだけさせて転げ回り、また、汗ばんで頬をポッと赤く染め、物欲しそうに口を半開きにした挑発ショット、胸に垂れた濡れた髪の間でピョコンと硬く尖っている先端の様子から、恋人関係もウワサされたカメラマンとの〝ガチ〟の一コマだったのではとも囁かれたほどでした」(同・記者)

どこかスッキリしないながらも、話題性もあり82万部を売り上げ、現在も『Santa Fe』に次ぐ売り上げ記録を誇っているが、「後に菅野サイドの承諾なしに増刷した28万部分、4億円もの印税を巡るトラブルも起きています」(同)

菅野にとっては、忘れたい黒歴史かもしれない。

一方、スキャンダラスなヌードといえば、96年の藤田朋子の写真集『遠野小説』も負けていない。

88年にNHK朝の連続テレビ小説『ノンちゃんの夢』で国民的ヒロインとなり、清純派女優として活躍していた、当時30歳の藤田が〝アラーキー〟こと荒木経惟氏をカメラマンに、初のヌード写真集を発売することが明らかになり、大きなニュースとなった。しかし、何と藤田は直後に、「ヌードは撮影したが発売しない約束」「公表前にネガチェックをさせなかったのは契約違反」などとして、写真集の出版中止を訴えたのだ。

取材陣の怒号が飛び交った記者会見

「出版社との対立は法廷闘争に持ち込まれましたが、契約は正当と主張する出版社は予定発売日よりも早く写真集を店頭に並べ発売を強行。怒りの藤田は、その翌日に会見を開いたが、用意した原稿を読み上げると、集まった取材陣の質問は一切受け付けずに会見を切り上げ、現場には取材陣の怒号が飛び交いました。写真集は、発売即〝発禁〟となりましたが、初版の5万部はすでに世の中に流通してしまいました」(ワイドショー関係者)

気になるのは、どんな経緯で撮影されたヌード写真だったのか、という一点だ。

「藤田は〝出版しないという約束〟だったとの主張ですが、ヌードの巨匠・アラーキーに撮らせていて、そんなことが果たしてあるのか。写真に写っている藤田の様子も、実にノリノリですから、彼女の主張は誠に不可解でした」(同・関係者)

そう、写真集の中の藤田は、実にイキイキと楽しそうで、少なくともアラーキーとの間には強い信頼関係があるように見えるのだ。

「推定〝C級〟の形のいい美豊満、ギュンとくびれたウエスト、肉感ヒップ。非常に自然な笑顔も実にキュートで、作品の中の藤田はとても魅力的でした。温泉に浸かる藤田が、頭にお皿を乗せてカッパになっておどけた表情を見せる写真や、温泉にアラーキーと一緒に入り、安心しきった表情で彼に身体を預けるような写真もあったんです」(同)

藤田が、出演中だった『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)を降板させられるのではとの思いからの、ちゃぶ台返し、という説もあった。

「事前のチェックがなかったことに怒っていた、というのなら、まだ納得がいきますね。ポーズがかなり扇情的で、突き上げるようにしてアンダーを見せつけるショット、四つん這いの藤田を後ろから捉え、ギリギリに迫った写真が多かったですからね」(写真集評論家)

結局、騒動の2カ月後に、藤田サイドに約1000万円の和解金が支払われることで収束。その後、双方が口をつぐんでしまい、現在まで真相は語られていない。

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