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新ギャグが大ウケした久しぶりの講演会~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

先日、久しぶりに講演会で北海道・釧路へ行ってきました。

昨年11月、コロナ感染者が一度減ったでしょ。そのタイミングでいくつか講演会で回って以来、約4カ月ぶりですよ。やっぱり、俺は舞台に上がることや講演会で喋ることが趣味だなと実感しました。

前日夜も早く床についたんですが、講演会のことを考えると嬉しくて眠れなかった。翌日、福岡空港から羽田空港を経由して釧路へ到着。釧路を訪れるのは6~7回目です。

今回は仏教のいくつかの宗派が合同で開催した講演会で、1000人収容の会場に200人しか入らないようにしっかりとコロナ対策が施されていました。挨拶もご遠慮いただいた。一番偉いお坊さんだけが挨拶に来てくれた程度です。

出演10分前、舞台袖で待機していたんですが、早く出たくて仕方ない。司会の方が俺のプロフィルを読み上げた後、「それでは島田洋七先生どうぞ!」と紹介するから、俺は開口一番「先生はないやろ。俺は漫才師でっせ」。それだけでお客さんは笑っていました。続けて「先生と呼ばんといて。天才と呼んでください」とボケたらまた大ウケ。その後も笑いが起きる度に「僕は天才です」なんて繰り出すとウケましたよ。新たなギャグを見つけましたね。

暇つぶしには仕事が一番

その昔、吉本新喜劇と漫才師の何組かで釧路に営業で行ったことがあって、当時のことも喋りました。

「炉端焼き発祥の地、釧路でおばあさんのお店へ〝アホ〟2人と行ったんです。アホは誰と思います? 間寛平です。みなさん賢いと思うかもしれませんが、アホでっせ。杖を振り回すだけで笑いを取るんですから…。そして、もう1人のアホは誰か分かりますか?」

お客さんにそう振ると、すぐさま「坂田(利夫)さん!」。「アホと天才で行ったんです」と返しましたよ。

と言っても、アホの芸は頭が良いからできるんです。そういうアドリブだけでも大きな笑いがどんどん巻き起こる。お客さんもこの2年、コロナにウクライナ侵攻と暗いニュースばかりを見ているから、ストレスがたまり、笑いに飢えていたんでしょうね。マスク越しでも、よく笑っているのが分かりました。

お客さんの反応も良いから俺も乗ってきてね。時計を見ると、終了時刻が近づいていたけど「あと15分喋らせて」と頼んで延長しましたよ。そんなことは滅多に口にしません。最後に「また会いましょうね」と締めると、「また来てください。天才さん」だって。

講演会が終わって、やはり芸人は喋ってナンボと実感しました。俺の場合は、テレビよりも人前のほうが好きなんです。だから、こうして仕事があるというのはありがたいことですよ。

昔、ばあちゃんが「人間は死ぬまでの暇つぶし。暇つぶしには仕事が一番」と話してました。家の中に閉じこもっているより、短時間でも仕事して、人と話すのが一番楽しい。今回のコロナ自粛で皆さんもよく分かったんじゃないかな。俺は漫才ブームが去り、暇になった時、初めてその言葉の意味が理解できたんです。

それに自分が充実した生活を送って、幸せになれば自然と笑顔になる。他の人がその笑顔を見て、またニコッてなるんですよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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