現代ではSNSや公式HPなどでの報告が主流だが、昭和の芸能人の「結婚会見」や「披露宴」はド派手だった。スターの皆さまが本誌の取材に答えてくれた珠玉の“プロポーズ名言・珍言集”をプレイバック!
●昭和57年3月11日号掲載『プロポーズ名セリフ珍セリフ』(8)年齢・肩書等は当時のまま
アントニオ猪木「彼女(倍賞美津子)とは、中華料理屋で、人に紹介されて、付き合うようになったんだけど、それも友だちとグループで食事をするくらい。彼女の仕事が忙しくなると、一年半も会わなかったり。
それが、急に会いたくなって、前に一、二度遊びに行ったことはあったけど、なんか口実が欲しくなっていろいろ考えたんですよ。
で、ブラジルに帰ったとき、向こうの人にサインをたのまれ、こんど行くときに持っていってやりたいって、電話したんです。
おっ母さんが、ちょうど出て、いま地方へ行ってるけど、帰ってきたら来てください、というので、色紙をドカッと買い込んで出かけていったんです」
会見で一緒に寝ていたことがバレた
「こうして、交際は始まったんですが、彼女はSKD(松竹歌劇団)をやめて映画に移り、忙しくなりロケのたびに、羽田へ送り迎えをしたんです。
なにしろ、彼女を口説こうと必死で、赤ん坊の頭ぐらいあるオニギリをつくってもっていったり。
朝早く、羽田をたって、夕方もどってくると、少しでも時間あると、羽田近くの野毛の家に連れていって、フロに入れてあげたり、仮眠させたり、あらゆるサービスをしたんです。
で、車で、二人でどっかへ行ったときに、彼女が、“結婚したいネ”といったんです。
いや、そういわせるまでが、たいへん。“押しの一手”。今思えば、それが、オレのプロポーズかなア。
“そうかい”というわけで、あとは、おおっぴら。
間もなく、酒もって、彼女の家へ行ったんだ。そこで、お父っつあんと飲んで、酔っ払って泊まり込み、それから、なんとなく、泊まっちゃう日が多くなって…。箱根へ夜ドライブしたときに、チュッチュッっていっちゃったのが最初ですよ」
この夫婦、結婚式のとき、記者会見で、「ゆうべは、どうして過したか」と聞かれ、「別々に、ホテルに部屋とって寝ました」と答えたところまではよかったが、「何時に起きたか」といわれ、倍賞が思わず、「朝、あたしが眼を覚ましたら、先に起きていました」
これで、いっぺんに、一緒に寝ていたことがバレてしまったというエピソードもある。
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