武田鉄矢 (C)週刊実話Web
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武田鉄矢「“離さない”“好き”どっちでもいいとです」【週刊実話お宝記事発掘】

現代ではSNSや公式HPなどでの報告が主流だが、昭和の芸能人の「結婚会見」や「披露宴」はド派手だった。スターの皆さまが本誌の取材に答えてくれた珠玉の“プロポーズ名言・珍言集”をプレイバック!


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武田鉄矢と節子夫人が知り合ったのは、今から十二年前だ。


「ずいぶん古い話だけど、うちのカミさんは、オレたち海援隊の熱心なファンだったんですよ。オレもね、“かわいい子だな、いいな”なんて思ってたわけ。だけど、オレ、この顔でしょ。女性コンプレックスがあるとですよ。で、“かわいすぎて、ホントだよ、オレにはムリだろうな”と、あきらめていたとです」


そのころ、武田たちは、プロになる前で、福岡市天神町にあるフォーク喫茶『照秋』という店に、レギュラー出演していた。武田は福岡教育大四年、節子夫人は香蘭女子短大二年生。

浮気したら…

武田は上京し『母に捧げるバラード』で人気者に、一方、節子夫人は、大阪の銀行に勤めた。

二年後、ファンレターがきて、武田が大阪の毎日放送に出演していたとき、節子夫人が訪ねてきた。


「かつて、博多で胸ときめかせた女性があらわれたので、もうビックリ。そのとき、“ああ、もうぜったいに、この人を離すまい”と、思ったとです。ホント、涙が出るくらい、彼女がかわいくて」


その夜、二人は朝まで酒を飲み、語り明かした。


「そんときは、なんもせんでした。初めてキスしたときは、二度目に、大阪で会うたときでした。酒に酔った勢いだったので、場所は、ちょっと思い出せないなァ。もう、オレは彼女にのぼせていたし…。初体験の口説き文句? カンベン。“離さない”“好き”どっちでもいいとです」


間もなく、節子夫人が、土曜、日曜日を利用して、新幹線で上京、武田の下宿へ通ってくるようになった。


ところが、彼が、二人の仲をハッキリさせなかった。そして、あるとき、


「つい、オレ、“べつにもう一人、好きな女がいる”って、言っちゃったわけ。もちろん、ウソ」


次に会ったとき、節子夫人は、手に包帯をまいてきて、


「切っちゃったの」


その次には睡眠薬。節子夫人の積極的攻撃にさすがの彼もタジタジ。


「口説いたのはオレですが、もう勝てっこない。こわかったですもん。もう、いまは押されっ放し。ハイ、浮気したら、一物を切る、と言われています」


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