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林家ぺーインタビュー~『僕のツイッターは90%が誕生日、10%が命日ですよ』

林家ぺー (C)週刊実話Web

――本日はペー師匠おひとりでのご登場です。

林家ペー(以下、ペー)「ごめんね、今日は寄席があったからね」

――ペー師匠はパー子さんと、いつも一緒にお仕事されてるのかと思ってました。

ペー「やってません。世間は漫才コンビだと思ってるけどね、僕と結婚して〝ペーパー〟で語呂が合っただけでコンビは組んでないのよ。僕はずっとピンでやってるから」

――パー子さんは、寄席には出られないと。

ペー「ぜんぜん出る気がないんだもん。ペーパーで出演依頼が来るからテレビは一緒に出てんのよ。ネタも何もしてない、にこにこ写真撮って珍道中みたいなことを。落語協会に入って45年、寄席は一人でやってます。ギター漫談で」

――でも、パー子さんとペー師匠とは初代林家三平師匠の兄弟弟子ですよね。

ペー「たまたまパー子という名前で師匠三平の弟子になったから、お笑いカテゴリーに入れられただけでね。知ってる? 彼女は藤圭子さんと兄弟弟子なんだから」

――そうなんですか?

ペー「藤圭子さんと一緒に石坂まさを先生のところで歌のレッスンしてたの。石坂先生と師匠三平が知り合いで、師匠の自宅に遊びに来たら女将さん(海老名香葉子さん)が彼女を気に入って、パー子って名前つけて弟子にしたんだから」

――そんな経緯だったとは。

ペー「パー子を師匠三平が弟子に取ったってだけで、映画や冠番組も決まっちゃった。芸も何もないのに、インパクトがあるのよ。明るいし可愛い子だから、師匠三平も『パー子に食われそうだ』って。すごいよね」

――ところでペー師匠は大阪出身なんですよね。なぜ東京で三平師匠の弟子に?

ペー「映画少年でね、洋画が大好きだった。フランスのパリ、イタリアはローマ、日本は東京というように、国際都市でしょ? ジェームズ・ボンドにしても東京なんだよね。東京にいないと意味がないと思ってたから、ずっと東京志向だった。母親の弟が池袋に住んでたんだけど、知ってる? 巣鴨プリズン。そこにいたの」

――池袋にあった刑務所ですよね。そこにいたとは?

ペー「入ってたわけじゃないよ、看守やってたのよ。寮が池袋にあってね」

――ペー師匠はその叔父さんを頼って上京したと。

ペー「叔父さんの勧めもあったし長嶋茂雄さんが好きだったから、立教大学を受験したんだ。落ちたけどね。そういえば郷ひろみさんの結婚式で、ミスターが僕のテーブルの斜め前だったんだ。ありがたいことにペーパーのことを知っててね、『僕も長嶋さんと同じ立教…』『え、立教?』と来たから『受かってれば』と(笑)。隣にいた江川(卓)さんが笑ってたよ。まぁ余談だけどね。今日は余談、気をつけてよ。余談の王者なんだから」

テリー伊藤さんの一言でペアでピンクに

――承知です(笑)。で、三平師匠への弟子入りは?

ペー「立教を落ちた後。師匠三平は落語家だけど、僕は〝タレントの三平〟ってイメージで弟子になった。だから今でも落語やってないのね。気がついたら漫談だったけど、タレント志向だったからね、僕は。師匠三平のところで6年間付き人やって、ギターで伴奏してね」

――三平師匠の伴奏をするために覚えたギターで今のギター漫談があると。

ペー「師匠三平が『お前は話が下手で面白くないから、歌にしろ。歌なら15分でも20分でももつから』って(笑)」

――ギター漫談をテレビで披露することは?

ペー「ない。依頼が来ないじゃないあなた。オーディションに行かなくちゃならないね、いまだに来ないもん」

――三平師匠のもとを独立されたのが昭和45年、2年後の昭和47年にパー子さんとご結婚されました。

ペー「独立してからは寄席に出たりギター漫談で営業してたけど、どういうわけか夫婦でテレビに出ることが増えたよね。〝ペーパー〟の語呂で得した」

――ペーパーさんといえば全身ピンクの出で立ちですが、それはいつ頃から?

ペー「これも長いよね。恩人の一人、テリー伊藤さんの持論が〝ビジュアル第1〟。『とにかく派手になんなさい』というわけ。僕は、昔は地味だったの。〝地味ヘンドリックス〟ってシャレを言ってたんだけどね(笑)」

――地味な師匠ってぜんぜん想像がつきません。

ペー「パー子はけっこう派手で、会ったときからピンクを着てた。たまたま彼女のセーターを着たのよ、家で。そしたら彼女のお母さんが『いいんじゃないの。今度、ペー子ちゃん(※パー子さんの母親はペー師匠のことをこう呼ぶらしい)もピンクのセーター作ったらどう? 仕事で2人で出るんならペアで』って言うわけ。それとテリーさんの言葉がきっかけで、ペアでピンクになったのよ」

――そうだったんですね。

ペー「『元気が出るテレビ』とか『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(ともに日本テレビ系)とか、そのあたりからかな。詳しくは忘れちゃったけど」

――ピンクを着るようになって、心境の変化は?

ペー「地味な格好でギター漫談してるときより、派手にやろうとか、騒ごうとか意識するようになったよね」

――キャラクターづくり以上の効果もあったんですね。

ペー「今もワイプ出演だけで年間30本以上ありますよ。この間も『ピンクの話題が出たんでワイプ入れたい』って局から連絡あって。すごいと思わない(笑)? オードリーの春日(俊彰)くんにしても、『ピンクを着るときにペー師匠に一言挨拶に行った』って。それだけでワイプ出てるのよ。ありがたいね」

『俺○月○日だから覚えといて』

――もう一つ、ペー師匠といえば有名人の誕生日暗唱ですが、こちらは?

ペー「これは高田文夫先生。声をかけていただき、フジテレビで『たまにはキンゴロー』『夜鳴き弁天』と深夜番組を1年間近くやったのね。高田先生の気に入ってる立川志らくさん、立川談春さん、春風亭昇太さん、浅草キッドさん、大川興業さん、松村邦洋さん、それからペーパーでね」

――関東高田組ですね。

ペー「そう。たまたま、打ち上げで『高田先生って昭和23年6月25日生まれでジュリーと生年月日一緒だよ』って言ったら女の子たちが『えー、面白い!』って言って、それがきっかけなのよ。番組で林家ペーのカレンダーコーナーってのが出来て、高田先生が日めくりカレンダーをバッと開いて、その日が誰の誕生日か言わなきゃいけない。それがえらいプレッシャーで」

――無作為にですよね?

ペー「そう。365日、誰が出るか分からないんだもん」

――それは大変(笑)!

ペー「高田先生は楽屋受けが好きだから、ディレクターとかの誕生日も覚えるわけ。そのうちフジテレビに行くとスタッフが『俺○月○日だから覚えといて』とか言い出して、露木(茂)さんも楽屋にアナウンサーの資料を持ってきて『これ全部覚えて』だって(笑)」

――スタッフの誕生日も!?

ペー「番組に出ていた福井謙二アナの奥さんの誕生日とか、行きつけの蕎麦屋の親父とかね、先生がそういう仲間受けするマニアックなのが好きなのよ」

――ペー師匠のツイッターも、誕生日の話題が多いですね。

ペー「僕のツイッターは90%が誕生日、10%が命日ですよ」

――ご当人のツーショットの写真があるのがいいです。

ペー「古ければ古いほど価値あるのね。アンミカさんが大好きだから入れたいんだけど、写真がね。アンミカさんはトミーズ雅さんと同じ高校出身で頭いいんだよ。コテコテの大阪人よ」

――誕生日だけじゃなく経歴も覚えてるんですか!?

ペー「好きな人だからね」

――ツイッターには、番組のプロデューサーとかの誕生日も出てきますね。

ペー「ある程度、世話になったプロデューサーとかはね。私は個人で事務所やってるから、プロデューサーやディレクターを覚えざるを得ないのよ。独立して以来、ずっと個人事務所で今日までやってこられてる。すごいと思わない? これ自慢」

――おっしゃる通りです。

ペー「僕は『芸能界にずっと浮遊している』っていう言葉が好きでね。今はお笑い第7世代でしょ? 僕は紀元前世代として(笑)、末席を汚してます」

(文/牛島フミロウ 企画・撮影/丸山剛史)

林家ぺー
大阪府出身。高校卒業後に上京して、初代林家三平に弟子入り。6年ほど付き人を務め、ギター漫談家としての活動を開始。その後、夫人のパー子さんと兄弟弟子結婚し、現在に至るまで精力的に高座に立つほか、夫婦揃ってテレビや営業活動を行っている。また、西友や楽天など、CMにも数多く出演中!

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