島田洋七 (C)週刊実話Web
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沖縄・地元の人たちとの交流で~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

漫才ブームの後、新型コロナ感染症が流行するまでは20年以上毎年、沖縄へ遊びに行っていました。初めての沖縄は、B&Bが司会を務めていた歌番組でした。


和田アキ子さん、研ナオコさん、西城秀樹さんらと沖縄から放送したんです。人気絶頂の頃でした。それ以来、沖縄の虜ですね。


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漫才ブームが去り、仕事が一段落した頃、大阪の酒屋の大将の知り合いが、渡嘉敷島で民宿を営んでいるとのことで訪れてみたんです。すると、ハワイとは比べ物にならないくらいキレイな海が広がっていて感動しましたね。紹介されたのは『民宿とみ乃』。おっちゃんとおばちゃん、俺と同い年くらいの息子さんが営んでいる宿でした。


その民宿を毎年利用していると、夕飯で1品サービスしてもらえることもあるんです。俺たちは代わりに「おっちゃん、一杯どう?」と誘って一緒に飲む。すると、島の歴史や文化など、いろんな話が聞ける。その時間が楽しくてね。だから20年以上、渡嘉敷島に毎年泊まりに行きましたよ。


それから5年くらい前には、孫を連れて宮古島へも足を運びました。その時はリゾートホテルに泊まりましたけど、宿泊料は高いし、飲んだ後はすぐ寝たいのに、繁華街からホテルまではタクシーで30分以上もある。なのでそれ以降はホテルではなく、繁華街からタクシーで10分ほどの一軒家を男友達4~5人で借りていましたね。

芸人のアホさん…!?

宮古島では『なみ吉』という居酒屋に足繁く通いました。この店は兄弟とアルバイトで切り盛りしていて、料理は美味しいし、兄弟がものすごく明るい。地元の人もよく利用する店だから、宮古島のいろんな話が聞ける。毎年通うと、同じ時期に同じお客さんとも会うことがしばしばありました。そういえば、日本航空のパイロットの方と何度も会った。パイロットの話なんてなかなか聞ける機会がないでしょ。リゾートホテル泊ではできない体験ですよ。

沖縄に歌番組の中継で行った際は、地元の人たちがよく来店する『ジャッキーステーキハウス』で食事をしました。今では大繁盛している有名店ですが、当時は地元の人や基地の軍人がほとんどで、観光客は多くなかったんです。沖縄へ行く度に訪れているから、女将さんがいつもビールなんかをサービスしてくれるんです。


数年前、女将さんから電話が掛かってきた。「今、洋七さんの紹介で、と言うお笑い芸人の方がいらっしゃっています」。「誰?」と聞き返すと、「サインをもらったんですけど、『アホ』さんという人です」。「『アホ』なんて名前の芸人は知らんから、ちょっと電話代わって」。電話口から「俺やがな」。坂田利夫さんでした。


サインに「アホの坂田」と書いたんですけど、サインは文字を崩して書くでしょ。それで女将さんは「アホ」しか読めなかった。「兄さん、サインに『アホの坂田』と書いたでしょ?」と聞くと「いつも書くがな」と。


「サインが読めなくて『アホさん』と言われてましたよ」、「ホンマか」。その時に以前、坂田さんに沖縄でオススメの店を聞かれたことがあって、その店を紹介したことを思い出しました…。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。