社会

作家・宮崎学さん死去――最期まで“裏社会”を追い続け執筆に意欲的だった…

宮崎学さん
宮崎学さん (C)週刊実話Web

3月30日、日本の裏社会に斬り込み続けた作家でジャーナリストの宮崎学さんが、老衰によって死去した(享年76)。

1984年~85年に起きた複数の食品会社への脅迫事件「グリコ・森永事件」では、犯行に関与したとする〝キツネ目の男〟と疑われたこともあったが、週刊誌記者を経て、96年に執筆した『突破者』で作家デビューを果たした。裏社会の取材も続け、アウトローを知るからこその目線で、警察当局や司法のあり方にも疑問を呈してきた。

五代目工藤會・野村悟総裁と田上文雄会長(福岡)が、4事件に関する殺人などの罪に問われた裁判を控えた一昨年には、本誌での寄稿文で、《当局が『ヤクザVS一般市民』という方向に世論を誘導したいがためであり、司法の中立性や信頼性が揺らぐような判断が、平気でまかり通っている》と批判。野村総裁に死刑判決が下された当日(昨年8月)も、連絡を受けて「推定死刑であり国策だ」と憤りをあらわにしたという。

現在も続く山口組の分裂抗争も追い続け…

また、現在も続く山口組の分裂抗争も追い続けた。2018年の本誌記事では、《ヤクザの歴史はケンカの歴史であり、山口組は過去、多くの抗争を経て大組織となったことを忘れてはいけない》とした上で、《『どうせなら俠として死にたい』と考え、走る組員が現れる可能性は否定できない》とコメントしていた。

実際、翌年に神戸山口組幹部射殺事件を引き起こした実行犯の元組員は、「俠になりたかった」と法廷で犯行の動機を述べており、宮崎さんの鋭い推察力がうかがえたのである。

ここ数年は体調を崩していたが、執筆への意欲が衰えることはなく新たな著書の準備も進めていた。

故人の遺志により葬儀・告別式は営まれず、親族などによって火葬が済まされた。当日は冷たい雨が降りしきる涙雨となったが、棺の中で眠る宮崎さんの顔は穏やかだったという。

ちょうど関東では桜が咲き誇り、雨粒とともに花びらも降る中での別れとなった。突然の訃報に、関係者の間ではその死を悼む声が止まない――。

あわせて読みたい