島田洋七(C)週刊実話Web
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美空ひばりさん常連の寿司屋〜島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

前回、美空ひばりさんと番組で一緒になり、お話させていただいたことを書きました。残念ながら、美空さんと直接会ったのはそれが最後になりましたね。


特番で会ってから数年後、俺は東京・千駄ヶ谷のマンションを借りていたことがあるんです。


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国立競技場の近くですね。よく東京体育館などを散歩していました。夜になると、近所にラーメンの屋台があって、食べに行くようになったんです。ある日、屋台の店主が「この先をまっすぐ行ったところの寿司屋に美空さんが来るらしい」という情報をくれた。値段が高いんだろうなと思って行くことはなかったんです。


後日、たけしの車に乗っていると、その寿司屋の前を通りすぎた。「ここだよ。美空さんがよく行く寿司屋さんは」とたけしが口にしたんで、車をUターンしてその店に2人で入ってみたんです。刺し身を少しだけつまんで、熱燗を2杯ずつ頼んで会計は4万円。美味しいけど、やっぱり高いなと2人で話しましたね。


それから美空さんに会えるんじゃないかと、弟子やマネジャーを連れて通うようになりました。でも、遭遇することはなかった。それに俺も同業者だから「美空さんは来ますか?」なんて店主に聞けないでしょ。


ある時、お客さんが「この前、来た時にいたのは美空さん?」と店主に尋ねていた。「はい。時々、お見えになります」。さらに、聞き耳を立てていると、美空さんは焼酎の水割りを飲むなんて話も聞こえてきた。

大スターに一度でも会えて幸せ…

晩年、美空さんは病に倒れたでしょ。ちょうど復帰する1988年の東京ドームこけら落としの伝説的なコンサート『不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME』のチケットをたけしが1枚だけ持っていた。たけしは仕事で行けないからと、俺にチケットをくれたんだけど、俺もその日は仕事が入っていてね。

どうしようかと考えて、当時通っていた新宿ゴールデン街のスナックのママにあげようと思ったんです。店内には、美空さんのポスターが貼ってあったからファンだろうと察してね。マネジャーと2人で店へ行ってチケットを渡すと、「ファンだから店を閉めて行く」と大喜びしてくれました。


ちなみに、この店を紹介してくれたのは高田純次なんです。『笑ってる場合ですよ!』の司会を務めている時に、劇団東京乾電池が「日刊乾電池ニュース」というコントコーナーにレギュラー出演していた。彼はその1人で「洋七さん、面白いお店があるんですよ」と教えてくれたんです。それまで新宿にゴールデン街なんていう一昔前の雰囲気の一角があるなんて、知らなかったからね。


東京ドームの復帰コンサート後は体調をさらに悪化させた。同じ舞台に上がる人間として分かるのは、〝板〟の上には良いも悪いも魔物が潜んでいるんですよ。俺なんかでも、お腹が痛くてもお客さんの前に出ると痛くなくなるもんね。


石原裕次郎さんや美空ひばりさんといった昭和を代表する大スターに一度でも会えただけでも幸せですよ。嫁さんと佐賀を家出同然で飛び出して、今は再び佐賀に住んでいる。その間、芸能界という世界を見学してきたんじゃないかなと最近よく思いますね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。