※画像はイメージです(画像)yuuno0606 / shutterstock
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『昭和猟奇事件大捜査線』第2回「近隣に潜む殺人者! 牛乳瓶に劇薬を仕込んで…」~ノンフィクションライター・小野一光

「今夜8時30分頃、S町の国鉄(当時)職員の家で31歳の主人と4歳の男の子、1歳の女の子が牛乳を飲んで急死した。今のところ自他殺、過失死等の区別はつかないが、死因は牛乳に何かが入っていたらしい…」 昭和30年代の夏のある日、埼玉県警本部の捜査一課の捜査員に、冒頭の連絡が入った。


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すぐに捜査員はS町の畠中雄太さん(仮名、以下同)宅へと向かった。


畠中家ではこの前日に、雄太さんの妻である瞳さん(28)が男児を出産しており、瞳さんの母親が家事の手伝いに来ていた。


捜査員が母親に話を聞くと、3人が牛乳を飲んだのは午後8時頃で、一緒に風呂から上がった直後であったとのこと。全員が牛乳を飲んでから30分ほどで急死したのだという。母親は捜査員に説明する。


「雄太さんが1本の牛乳を兄妹2人に半分ずつ分けて飲ませたら、妹はまだ口がきけないが、兄の方が父親に『苦い』と訴えたんです。それで雄太さんが、『苦いことがあるもんか』と言いながら、兄が残した牛乳を飲んでしまいました。この直後、雄太さんも『今夜の牛乳はとても苦い』と言っていて、間もなく3人とも苦しみだしたと思ったら、死んでしまったんです」


現場からは牛乳瓶2本と紫色の牛乳瓶用ビニール製カバー1枚が発見されたが、瓶の紙蓋については、その夜のうちに発見することができなかった。


牛乳瓶2本のうち、1本は前夜のもので、もう1本はその夜飲んだ瓶だと推測されたが、どちらであるかがはっきりしない。というのも、清潔好きな雄太さんがいつもの習慣で、飲んだ後に瓶を水道ですすいだため、瓶内に牛乳が残っていなかったのだ。


翌日行われた解剖によって、3人の死因は「農薬による急性中毒死の疑いが濃厚」という結果が出た。また、具体的な薬物名は、胃の内容物を検査に出して明らかにすることになった。

数々の目撃・状況証拠が浮上…

一方、前夜には発見できなかった牛乳瓶の紙蓋が、流しから先の土管の中で発見された。この紙蓋には、中央からやや外側寄りに箸かあまり鋭利ではないもので突き刺した穴があり、雄太さんが蓋を開けた際のものであると推測された

また、それとは別に、紙蓋の端にキリのようなものを差し込んでこじ開け、再び蓋をした痕跡が残されており、そこから誰かが農薬を注入したのだろうとの〝読み〟だった。


事故や自殺ではなく、殺人事件であるとの前提で捜査が行われることになり、周辺での聞き込みを行った捜査員に、多くの情報が入ってくる。


まず、被害者宅と小道を隔てた隣家に住む、高橋小雪という25歳の主婦が、雄太さんの妻である瞳さんと不仲で、両家はほとんど交際していないということが明らかになった。


他にも、雄太さんは盆栽や植木を趣味としていたが、盆栽をひっくり返されたり、植木を折られたりしていた。また、庭の小さな池に何者かが毒物を入れたのか、飼っていた魚が全滅したこともあったことが判明した。


所轄のS署に捜査本部が設置され、本格的な捜査が始まるのと時を同じくして、被害者の胃の内容物から検出された毒物が、農薬の成分であるメチルパラチオンであることが分かった。


さらに、同じ成分の毒物が、魚が死んだ畠中家の庭の池と、土管の中で発見された牛乳瓶の紙蓋からも検出されたのである。


捜査を始めて1週間が経過すると、隣家に住む高橋小雪に対する容疑が日増しに強くなっていった。同女に対する疑いの数々は以下の通りだ。


○鼻っ柱の強い小雪は、近所の主婦たちとの交際に円満を欠き、孤立状態になっていた。特に畠中家の瞳さんとは半年前に揉め事を起こし、以後、両者間は絶交状態だった。


○事件の2カ月前の午後10時頃、小雪が被害者方の垣根付近から逃げるようにして出てきた姿を、近所の人が目撃したが、同夜、被害者方では庭木の松枝が折られていた。


○事件1カ月前にも同様のことがあり、そのときも隣家の主婦が小雪の姿を目撃。以来、事件までの間に10回ほど、庭木へのいたずらが続いた。


○事件発生当夜の午後7時20分頃から27分頃の間に、小雪が被害者方の門前にいたのを隣家の主婦が目撃。


○小雪の実家では、実父が農事実行組合長をしており、農薬の管理責任者である。事件の8日前、小雪は実家に行っており、農薬入手の機会があった。(その晩、被害者方の池に農薬が投入され、魚が死んでいる)


これらを検討した結果、小雪の容疑性は十分に認められた。ただし、すべて状況証拠のみで、犯行を裏付ける直接証拠はない。

逮捕状は2罪を併列し慎重に

そうしたなか、事件から3週間後に刑事部長、鑑識課長、S署長以下捜査幹部が出席して、最終的な捜査会議が開かれた。

「逮捕して、もし自供しなかったときは、起訴できないだろう。そのときはどうするのか」


というような、逮捕には慎重を期すべきだとの意見がある一方で、次のような積極的な意見もあった。


「殺人を否認しても、別罪としての邸宅侵入事件には目撃者があり、捜査過程からみても犯人に相違ない。いたずらに日を重ねても、出産日が近くなるばかりで利はない」


実はこのとき、小雪は妊娠8カ月という身重の体であり、2歳に満たない幼児の母でもあったのだ。


とはいえ3人もの死者が出ている重大事件である。もし取り調べが、逮捕しない任意のものであれば、証拠隠滅の可能性がある。これ以上は事前に証拠資料の収集は困難であるとの結論を出し、逮捕という手段に出ることが決定した。


ただし、逮捕に際しては慎重を期し、住居侵入罪及び殺人罪の2罪を併列して、逮捕状を請求するという方法が採られたのだった。


逮捕は早朝だったが、高橋家の起床を待ち、幼児を託す小雪の夫の在宅を確認してから着手された。


S署に連行された小雪に対しては、簡単な取り調べを経て、かねてから捜査本部が準備していたポリグラフ(噓発見器)検査が実施されることになった。


科警研(科学警察研究所)の技官が立ち会い、捜査本部が事前に用意した質問事項に対して、すべて「いいえ」と答えてもらう。


すると次の結果が出た。


○牛乳の中に投入した薬品名については特に強い反応を示し、青酸カリ等、その他の毒物には反応を示さなかった。


○牛乳瓶を開けた手段では、キリのようなものを用いた、に強い反応を示した。


だが、その後の取り調べで小雪は犯行への関与について頑として認めない。彼女が妊婦であるということも考慮して、逮捕当日の取り調べは早々に終えた。


とはいえ、小雪もその夜に、これ以上は逃げ通すことができないと考えたのだろう。翌朝からの取り調べでは、最初から前日とは打って変わって、観念したかのように自供を始めたのである。


23歳のときに結婚し、被害者宅の隣に住むようになった小雪。だが、嫁入り後の初対面の挨拶に行った際、瞳さんが洗濯物を干しながら、ぞんざいに返事をしたという出来事をきっかけに、両者の間の小さな諍いがいくつも重なっていく。

被害妄想を抱き殺害を思いつく

小雪の夫も国鉄職員だったが、試験に合格した者しかなれない車掌の役職だった。同じ国鉄職員でも瞳さんの夫は工員で、小雪はそのことに優越意識を抱いており、それが態度に表れていたようだ。そのため瞳さんとは絶交状態となり、近隣の主婦たちからも疎まれていった。

自らの孤立について、すべて裏で瞳さんが画策していると逆恨みした小雪は、やがて畠中家の庭木や盆栽にいたずらをしては、鬱憤を晴らすようになる。


そして瞳さんが出産すると、畠中家に彼女の母親や近所の主婦たちが見舞いに訪れるようになったことから、「また私の悪口を言っているに違いない」と被害妄想を抱いた小雪は、瞳さん殺害を思いついたのだ。


犯行当日の夕方、小雪はあたりが薄暗くなるのを待って人目を忍びながら畠中家へ赴き、牛乳箱から配達されたばかりの牛乳瓶を取り出して自宅の裏に持ち帰った。そして、小さなキリで原型を傷つけないように瓶の蓋を開け、農薬の原液を1、2滴混入すると、再び元通りにして、畠中家の牛乳箱に戻したのである。


しかし、小雪の予想とは異なり、瞳さんが牛乳嫌いなために彼女は飲まず、父子が飲んでしまったのだ。


事件が発生したとき、小雪は自宅でテレビを見ていた。そのうち裏の道を人が駆け出し、騒ぎが起きると、表に出て近所の人に、「どうしました?」と尋ね、平静を装って夫と被害者宅へ見舞いに行っている。


小雪は取り調べ中、自らが犯した罪の大きさに慄きつつ、ときに笑みを浮かべ、こう口にしたという。


「畠中さんの奥さんが、私にいろいろ意地悪いことをしたから、私がこんなことをするように追い込まれてしまった。私に言わせれば、あの奥さんが私を使って自分の旦那さんや子供を殺したようなものです」


あまりにも身勝手な論理での、主婦の暴走だった。
小野一光(おの・いっこう) 福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。