『佐賀のがばいばあちゃん』を出版した裏には、たけしの助言がありましたけど、まだ漫才ブームの頃、B&Bとして本を出したことがあるんです。
当時、B&Bはレギュラー17本を抱えていて、原稿を書く時間なんてない。
5日間くらい夜の10時から12時すぎまで、ホテルの1室で編集者とライターの前で話し、まとめてくれたんです。
1日目が終わった翌日、相方の洋八が「俺はよう喋らん。もう喋ることないもん。洋ちゃん1人で本だしぃ」と言ってきましてね。仕方ないので、2日目からは俺1人で喋ったんです。
無事に本が出版されると、バンバン売れました。俺が「今日は印税が150万円銀行に入ってた」なんて楽屋で話していると、洋八が「俺ももっと喋ろうか」と。「もう終わったし、本になってるやん。今さら何を喋るねん」とツッコみましたわ。そのエピソードを漫才のネタでも使いましたよ。
洋八はものすごく良いやつなんですけど、そういうところがあるんです。俺らが地方の営業へ行くでしょ。出番を終えると、出待ちのファンらに「Tシャツちょうだい」と声を掛けられる。「B&B」のロゴが入っているTシャツをあげると、すごく喜んでくれる。俺はTシャツが売れるんじゃないかとひらめいたんです。
マネジャーが業者の人を紹介してくれたんですが、全国規模で売ると、諸々含めて最初に2000万円掛かるという。洋八に「お前も半分出せえ」と言うと、「1000万出して売れんかったらどうする? 家の中がTシャツだらけになるで」とゴネるから俺が2000万円を出したんです。
洋八はいつも後出しジャンケン
俺らはそのTシャツを着てテレビに出ていたから、全国でものすごく売れて儲かったんです。そうしたら、洋八が「俺もなんぼか金出そうか」と。「お前はいつも遅いんよ。お金出して失敗するか成功するか、商売なんてそんなもんやろ。後出しジャンケンはやめとけ」と説教しましたよ。
トレーナーも作りましたね。その時は洋八もお金を出したんです。漫才ブームの頃は、グッズの売り上げやCMなども含めてかなりの年収がありました。でもね、当時の税率は今より遥かに高かったんです。
「3食以上の飯は食えん」。ばあちゃんの口癖でした。漫才で売れただけでも儲けもん。それに貧乏だったから、そんなにお金をもらっても使えないんです。毎日、レギュラー番組があるから遅くまで飲むこともできないしね。
衣装もTシャツかトレーナーくらいだから、経費はかからない。税理士さんから「1台くらい高い車を買ったり、飲み食いもある程度は経費で落ちるから」とアドバイスを受けました。その時、初めてベンツという車があるのを知って、2000万円くらいで買いましたよ。
また、笑い話ですけど、青森のスナックへ行った際、会計は8000円だったんだけど、ママも俺らも酔っぱらっていたから、冗談で領収書に『1億円』と書いてもらった。それを税理士さんに渡したら「1億円の領収書があるけど、スナックで何千人で飲んだの?」とビックリされましてね。「5000人で飲みました」と答えましたよ。
島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。
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