一時は絶滅の危機に瀕していたピンク映画だが、60周年の節目を迎えたことで、多種多様なエロチシズムが再注目されている。
「松竹の大部屋女優から〝ピンク映画の女王〟となったのが松井康子です。年季の入った邦画ファンなら、その名前を聞いただけで、『あの色香満載の女優ね』と思い出すはず」(映画ライター)
150本ほど出演したピンク映画だけでなく、大島渚監督の本番映画『愛のコリーダ』や日活ロマンポルノにまで出ていたから、その知名度は高い。
面白い経歴の女優で、母方の祖父が小笠原長生子爵。つまり、華族の出だ。
1958年、大学1年の秋に松竹の城戸四郎社長にスカウトされて入社。翌年に『パイナップル部隊』でデビューするが、端役ばかりで主役の座が巡ってこない。63年にテレビドラマに出演した際、その助監督をしていた若松孝二に出会ったことで転機が訪れた。
若松から「自分が監督になったら出てくれ」と頼まれ、その約束を守って『おいろけ作戦 第一部・プレイガール』(63年)に主演する。ただし、当時は大手映画会社の縛りがきつかったため、松井康子という名前が使えず「牧和子」名義であった。
ピンク映画名物の“パートカラー”
続いて主演した小川欽也監督の『妾』(64年)が大ヒット。以降はフリーとなり、品のいい日本的美貌、大人の色気でもって、ピンク映画界でスター街道を歩むこととなる。
ちなみに、同作品からパートカラー(濡れ場になると画面がカラーになる)が採用され、それがピンク映画の売り物となった。
「松井康子は顔立ちが大スターの山本富士子と似ていて、それは美しかった。当時、香取環、内田高子と並ぶ3大女優でしたよ。そんな彼女だったから、どの監督も使いたがった。人柄も、豪放磊落で魅力的だったしね」(前出の映画ライター)
美貌を誇った彼女も70年代に入ると年を追うごとに太り始め、80年代に入ってからはパッタリ見かけなくなった。12年には詐欺事件で捕まったという報道まで流れ、現在は行方不明の状態。何とも寂しい話だ。
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