
2014年に亡くなったやしきたかじんは、関西のローカル番組で人気を博していたでしょ。彼は悩んでいたことがあるんです。30年以上前、「たかじんの相談に乗ってくれないか」と読売テレビの名プロデューサーの有川寛さんから電話がかかってきましてね。
有川さんは漫才ブームの前、大阪の漫才は絶対に東京でもウケるからと、交通費を自腹で出して、新宿の紀伊國屋ホールの舞台に、やすしきよしさんやB&B、ザ・ぼんちなどを立たせてくれた人です。有川さんが漫才ブームの礎をつくってくれたんです。
有川さんから電話がかかってきた時、俺はもう東京に進出していたから、たかじんの名前は知っていたけど、顔までは分からなかったんです。その後、たかじんから直接、電話がかかってきて初めて話しましたよ。
たかじんは売れない時は、あちこちで弾き語りをしながら悩んでいた。でも、売れたら売れたで「視聴率が落ちたら怖い」。だから「番組を降りようか悩んでいる」とこぼすんです。「そんなんやったら俺は何回死ななあかんねん。1本の番組の視聴率がどうのこうの言っとったら、レギュラーが17本あった俺は今、冠番組がないねんで。ブームは去るもの。一度でも売れればエエやん」と励ました。
続けて「コンサートはどうやねん?」と聞くと、「テレビ番組の司会を始めてから、お客さんが増えた」そうじゃないですか。コンサートは1000人規模のお客さんが入るかもしれませんけど、テレビは約100万人単位の人が見ている。やはり、テレビの力は大きいんですよ。だから「番組を辞めたらコンサートもお客さんが入らなくなるよ」と忠告しましたよ。
過激発言とは逆な繊細な男…
ファンは温かいけど冷たいものなんです。熱しやすく冷めやすいというのかな。次のスターが現れると、すぐにそっちへ行ってしまうでしょ。だから「テレビ局が番組を打ち切りにするまで続けたほうがいい」とアドバイスしました。
最後に「そない悩むんなら、番組をコンサートと思って喋りながら自分の魅力を目一杯出せばエエねん」と言いましたよ。たかじんは泣きながら「分かりやすいですね。ありがとうございます」と感激していましたね。過激な発言をしていたけど、実は繊細な男なんですよ。
「また縁があったらどこかで会おうな」。電話を切ると、すぐ彼から電話がかかってきた。「『たかじんnoばぁ~』にレギュラーで出てもらえませんか」と。毎週、大阪まで収録に行くのは難しいなと思ったんですけど、1回で2本撮りというので引き受けました。
収録時、初めてたかじんを見ましたけど、喋りも達者で面白かったですよ。収録後、たかじんとホテルのバーで軽く飲んだんです。まだ悩んでいる様子だったから「何が不満やねん? もともと歌手やろ。趣味みたいなもんや。楽しめ」と言ったのを覚えていますね。
漫才ブームで売れてレギュラー番組が17本もあったけど、当時の俺は冠番組がなかった。有川さんが俺にたかじんの相談に乗らせようと思ったのは、それでも明るく生きているからだと思うんですよ。そういう経験をしている俺だと説得力があるでしょ。
島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。
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