
デビュー当時、俺がまだ20代前半だった1970年代の『なんばグランド花月』には、7~8畳の楽屋が5つくらいと風呂があったんです。出番を終えた師匠たちが入った後に俺らも「入りい」と促され、浴びることもありましたよ。
また、楽屋だと食事が出前ばかりで飽きるから、夫婦漫才の師匠たちの中には、自宅からおかずを持参して、楽屋に電気釜を持ち込み、米を炊いて食べている方もいましたね。余ったご飯で塩むすびを作って、若手の俺らにタクアンを付けて振る舞ってくれました。飯食って、風呂入って、まるで住んでいるようでしたね。
吉本興業では「おはようございます」と先輩に挨拶すると「飯食ったか」と返すのが定番になっていました。だから吉本独特の、先輩が飲み代をすべて奢るのかもね。先輩が楽屋で出前を頼めば、「君も頼み」と勧めてもらえたから、1食は食えましたね。
他にも、若手だけで安い飲み屋で飲んでいると、たまたま居合わせた先輩が5000円くらい渡してくれて、「足りない分は自分らで払い」と言って店を後にする。そういう後輩の面倒を見る風潮がありました。当時の吉本は所属しているのが落語家、新喜劇、漫才とみんなお笑いでしたから。
ある時、西川きよし師匠から「洋七くんは飯食ったか?」と聞かれて、生まれて初めて寿司屋へ連れて行ってもらったんです。きよし師匠のその姿を見てカッコいいなと感激しました。俺も売れたら絶対に寿司屋へ行こう、若手を連れて、と思ったものです。
地方の寿司屋は話の“ネタ”にもなる!
今も寿司屋が好きなのは、この時の経験が影響してるんです。コロナ禍前までは、週5回は晩飯で寿司屋へ通っていました。地方へ営業に行っても、その土地の寿司屋ばかりです。芸能人が店に入ると「洋七さんや、すごい」と歓迎されたりもするけど、会計になると、安くしてくれるか、ぼったくられるかのどちらかですね。俺の経験上は。
一度、富山へ営業に行って相方の洋八とマネジャー、弟子の計5人で寿司屋へ行ったんです。美味しかったんですけど、会計になると思ったより値段が高かった。それこそ東京の寿司屋と変わらない。するとマネジャーが「ぼったくられているんちゃいますか?」と。
次の日も富山で仕事だったから、翌日夜にもう一度その寿司屋へ行って、同じものを頼んだらいくら取られるか試してみたんです。弟子は酒を飲まないから、誰が何のネタを頼んで、どのお酒を何杯飲んだかをすべて覚えていましたからね。まったく同じものを注文し会計すると、前日より高かったんですよ。1万5000円も。
よく魚は時価だからと言いますけど、1日でそんなに高くなりますか(笑)。店の外に出てみんなで大爆笑しましたよ。
他の県へ営業に行って、「○○県では寿司屋でぼったくられましたけど、ここではぼったくられないで済むか分かりませんね」と話すと会場がどっと沸く。ネタとして4~5回使ったら1万5000円くらいぼったくられたのなんて安いもんですよ。
ぼったくられても、逆に安くても、すべてが漫才のネタとして笑い飛ばせてしまうんです。
島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。
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