芸能

文珍さんだけに告白した同棲生活〜島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

前回、笑福亭仁鶴師匠の話をしましたけど、仁鶴師匠の他に桂文珍さんが舞台に上がる時も、よく見て勉強させてもらいました。

デビューしてから2年くらいで俺らはNHK上方漫才コンテストで受賞したんです。楽屋にいると、文珍さんに「君らすごいな」と話かけてもらったのが最初でした。

その後、俺らは徐々に関西ローカルのテレビ番組に出演するようになったんですよ。文珍さんからは「最近、テレビに出てるな。今度、家に遊びにおいで」と誘ってもらった。

家に遊びに行くと、帰りがけに田舎から送られてきた柿を20個くらい頂いたんです。でも、そんなに食べられないから「兄さん、こんなには食べられませんよ。2人で」と遠慮しようとしたら、「お前は1人で住んでいるんちゃうの? 2人って」と訝しがられた。入ったばかりの若手が彼女(今の嫁)と同棲しているのは怒られると思って、うちの師匠にも隠していたんです。そこで「実は彼女と同棲してまして。絶対に誰にも言わんといてください」と文珍さんにだけ告白したんですよ。

ある日、いつものように文珍さんの落語を見に行ったら「君は漫才やろ?」と指摘されて、「でも、落語は勉強になります」と答えたら、「落語は1人でやるけど、現代落語はセリフを2人で別けたら漫才のようになるからな。落とし方も色々とあるから参考になるかもな」と納得していました。仁鶴師匠同様、文珍さんも芸事に真面目な人。だから、若手と飲みに行ったりはあまりしませんでしたね。

クーラーを見に自宅に4人も

まだ若手だった1970年代の夏、文珍さんが「劇場はクーラーが利いていて涼しいな。家は暑くてたまらんわ」と話していた。俺が「兄さん、俺、クーラー買ったんですよ」と切り出すと、「お前、そんな若手で家にクーラーがあるの?」と驚かれましてね。当時、クーラーは今ほど普及していなかったし、俺らも関西ローカルのレギュラー番組が2本くらいでしたから。

「兄さん、ちょっとこっちに来てください」

楽屋の隅に文珍さんに来てもらって、「彼女と同棲していると前に言ったやないですか。彼女も働いているので買えたんです」と伝えたんです。そうしたら、「今度、家に遊びに行くわ」と言われましてね。家に来た文珍さんは「クーラーあるやん。やっぱり涼しいな」と2、3分涼むと、今度は外へ出て「やっぱり外は暑いな」と再確認する。そんなことを5、6回繰り返していました。

翌日、劇場へ行くと、月亭八方さんから「お前、クーラー持ってるらしいな。文珍さんから聞いたわ」と話しかけれて、「俺もクーラーに入らせろ」とせがまれましたよ。劇場の合間は3時間くらい空くから、その間に八方さんが家に来て、文珍さんと同じように中で涼んだり、外で出たりを繰り返していましたね。

劇場に戻ると八方さんが「今、洋七の家に行ったらクーラーあるねん」とみんなにバラすんです。すると、他の芸人も「俺にもクーラー見せてくれ」と言ってくる。「見るなら電気屋にあります」と返すと、「入らせろってことや」。そんな話題で10日間くらい盛り上がっていました。結局、4人くらい自宅に来ましたね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

あわせて読みたい