ケンドー・カシン (C)週刊実話Web
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ケンドー・カシン「うん、余計なお世話だ」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

基本、何に対しても鷹揚な態度を見せる武藤敬司でさえ、ケンドー・カシンの言動には「あいつだけは理解できない」「一生関わりたくない」と拒否反応を示す。古巣の新日本プロレスからも出禁を食らったと噂されるが、カシンの本音はどんなものなのか。


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早稲田大学在学中から全日本学生レスリング選手権(フリー82キロ級)3連覇など華々しい結果を残し、卒業後、新日本プロレスのアマレス部門『闘魂クラブ』に所属してからも、全日本レスリング選手権(フリー82キロ級)で優勝。


ケンドー・カシンこと石澤常光は、事の次第では五輪代表も狙えた実力者であり、青森出身ということで、いかにも東北人らしい実直な人柄の好青年であった。新日正式入団後の1996年には、ヤングライオン杯にも優勝している(準優勝は永田裕志)。


とはいえ、もともと石澤は大学時代から東京スポーツの取材に「夢はIWGP王者」と答えていたほどのプロレスファンで、海外でマスクマンに転身したことによって、ようやく本質の部分を表に出せたこともあっただろう。


1997年4月にヨーロッパ遠征から凱旋したカシンは、当初こそ関節技とグラウンドを主体としたスタイルが地味に映ったことで、いまひとつ目立たない存在だった。しかし、徐々にその特異な言動によって注目を集め始める。


99年1月にIWGPジュニアタッグ王座を獲得した際は(パートナーはドクトル・ワグナーJr.)、防衛戦後に認定書を破り捨て、その意図を記者から問われると「おまえにとやかく言われる筋合いはない!」と吐き捨てた。

王者となっても狼藉を繰り返す…

同年5月に参加した『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』では、予選のうちから「優勝したらコソボの人たちに給付金をやる」と宣言。実際に金本浩二を破って優勝を決めると、賞金500万円と記された小切手ボードを実況の真鍋由アナに投げ付け、「これを換金して寄付しとけ!」「コソボだ、コソボ!」と言い放った。

コソボは当時、旧ユーゴスラビアの分裂解体の中で独立を目指し、紛争の真っ只中であったが、カシンは宣言通り賞金の一部を寄付したという。


IWGPジュニア王者となっても、チャンピオンベルトを投げ捨て、トロフィーを破壊するなどカシンの狼藉は続き、防衛後に記者から「おめでとうございます」と言われると、「うん、余計なお世話だ」などと煙に巻くことも多かった。


2000年6月、PRIDE参戦が噂されるさなかにこれを問われると、カシンは「おまえが出ろ、このバカ!」と一蹴し、翌月に同様の質問を受けると「俺に聞くな。倍賞鉄夫に聞け。あのカネの亡者に!」と返答。倍賞氏は当時、アントニオ猪木の個人事務所の幹部であり、総合格闘技への参戦が猪木の「カネ儲け」のためであることを言外に示したものだった。


そんな猪木批判とも受け取れる過激発言をしていながら、素顔の石澤に戻れば真面目そのもの。いざPRIDE参戦が決まれば、無理な要求にも真剣に取り組んでいる。


その初戦では、ハイアン・グレイシーにパンチの連打を受けて、衝撃のTKO負けを喫するが、これは対戦相手がヘンゾ・グレイシーから急きょ変更された不運もあった。


寝技中心のヘンゾが相手なら、本来の技術で対応できると巡業への参加を優先したため、打撃練習に時間をかけられなかったのだ。

過激発言の裏に隠された“真意”

この敗戦に石澤は「やるか辞めるかのどっちかでしょう」と、レスラー人生を懸けたリベンジマッチに挑み、今度はしっかり総合用の特訓をした上でハイアンに完勝。勝利後の石澤はリング上でマイクをつかむと、「一言、ありがとう! それだけです」と固い表情でファンからの歓声に応えたものだった。

ひとたびマスクをかぶれば、このような本音は一切見せないが、過激な言動の裏にはカシンなりの意図があったようだ。


全日本プロレス移籍後の04年に、永田と組んで世界タッグ王者となった際は、「防衛戦も行わずベルトも返還しない」ことで、全日との間で裁判沙汰にまでなっている。しかし、実はこれも社員への給与未払いに対する抗議の意味があったと言われている。


新日時代、地方巡業でちびっ子ファンからサインを求められたカシンは、いったん「俺は忙しいんだ」と控え室に帰ったが、すぐに同じ部屋から素顔の石澤が出てきて「カシンからもらってきたよ」と、サインを渡したというエピソードも伝えられている。


こうしてみるとカシンの悪行や奇行は、その裏側に「プロのレスラーとしてキャラクターを徹底する」という強い意思があってのことだったか。


そして、実は真面目で冷静沈着という根本があるからこそ、50歳を過ぎた現在も往時と変わらぬ体形を維持し、ハイレベルなパフォーマンスを繰り広げることができるのだろう。


《文・脇本深八》
ケンドー・カシン PROFILE●1968年8月5日生まれ。青森県南津軽郡出身。身長181センチ、体重87キロ。 得意技/腕ひしぎ十字固め、カシン式タランチュラ、かち上げ式エルボースマッシュ。