長州力 (C)週刊実話Web
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長州力「あの野郎がくたばって墓建てたら、俺はクソぶっかけてやる」~一度は使ってみたい“プロレスの言霊”

数々の名言を世に残している長州力だが、その中でも飛び切り激しく、下品極まりないコメントが「墓にクソぶっかけてやる」だろう。


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これを言われたUWFインターナショナルは、当時、多くのファンからの支持を失って、忌み嫌われる存在になる過程にあった。


1994年2月、髙田延彦をエースとするUWFインターナショナルは、『プロレスリング・ワールドトーナメント』(いわゆる1億円トーナメント)の開催を発表する記者会見の場で、他団体の主力選手(橋本真也、三沢光晴、天龍源一郎、前田日明、船木誠勝)に呼びかけ、一方的に招待状を送り付けた。


これについて問われた新日本プロレスの長州力は、激怒して「みんな首吊って死ね! あの野郎がくたばって墓建てたら、俺はクソぶっかけてやる」とまで言い放った。


「あの野郎」とは、こうした仕掛けを主導していた当時、Uインター取締役の宮戸優光であり、同じく取締役の安生洋二や鈴木健氏もこれに含まれる。


業界最大手の新日で現場監督を務める長州が、そのような過激発言をしたこともあり、多くのファンもまた「Uインターはひどい団体だ」とのイメージを抱くようになっていった。


ただ、改めて振り返ったときに、この頃のUインターのやり口が飛び抜けてひどかったかというと、必ずしもそうではない。


まず、92年10月の蝶野正洋への挑戦は、最初に蝶野が雑誌インタビューで「両団体が交流できるなら、同年代の髙田さんと試合がしてみたい」と発言したことを受けてのものだった。

結局は「実現できたかどうか」の違い

これに触発された鈴木氏が、Uインター顧問のルー・テーズや記者連中までも引き連れ、アポなしで新日の事務所を訪れたのは社会人としてマナー違反ではあった。しかし、蝶野の言葉尻を捕えて対戦を迫るというそのやり口は、アントニオ猪木がモハメド・アリの「東洋人で俺に挑戦するヤツはいないか」とのリップサービスに、食らいついていったのと大差はない。


1億円トーナメントにしても、同様のことは全日本プロレスが75年12月に『オープン選手権』として行っている。


ジャイアント馬場はオープン選手権に際して、「広く門戸を開放して各団体から代表主力選手の参加を求め、対戦する機会を提供するものであります」との企画趣旨を発表。記者からの「もし猪木が参加してきたら対戦するのか」との質問に対して、「そういうこともありますなぁ」と答えている。


新日や全日とやっていることは大差ないのに、なぜUインターが批判されたかといえば、結局は「実現できたかどうか」の違いということになる。


猪木はアリ戦の実現にこぎ着け、オープン選手権も猪木の参戦こそなかったものの、国際プロレスからラッシャー木村やグレート草津が参戦。それ以上に当時のNWA会長だったフリッツ・フォン・エリックが、「アメリカのマットを空っぽにする気か!」と言ったほどの豪華スター選手を同大会に集めている。

前田とも舌戦を繰り広げた宮戸

一方のUインターはというと、蝶野戦については新日側から屈辱的な要求をされたとして、早々に手を引いてしまった。


新日側の「蝶野とやりたいのなら対戦者決定戦として、新日とUインターが巌流島で4対4のバトルロイヤルを行い、さらにリスク料として3000万円を用意しろ」という要求は、Uインター側としては受け入れ難いものだったのかもしれない。


しかし、そこで「なんとしてもやる」という気概を見せていたなら、状況は大きく違っていただろう。席を蹴って、なおかつ交渉内容をマスコミに漏らしたのは、今にして思えば早計ではなかったか。


1億円トーナメントにしても、これに反応した前田が「リングス」との対抗戦を提案してきたにもかかわらず、結局なんだかんだと舌戦を繰り広げただけで、うやむやのうちに終わらせてしまった。


また、この時に宮戸がリングスの外国人選手に対して、「どこの馬の骨とも分からない選手を参加させるわけにいかない」と言ったことは、ファンに「Uインターが逃げた」とのイメージを抱かせることにもなった。


これに対して前田は、いみじくも「おまえ(宮戸)こそ、どこの馬の骨だ」と言ったものだが、ファンの感想もまさにその通り。


第2次UWFの頃までは、一介の前座にすぎなかった宮戸や安生が「取締役でござい」と大きな顔をしている姿には違和感しかなく、「そりゃあ長州も『クソぶっかける』と言いたくもなるわ」と、妙に納得をしていたものだった。


それでもUインターが徹底的に嫌われたからこそ、95年からの新日との対抗戦が空前の盛り上がりをみせたわけで、この事実はまさに「人間万事塞翁が馬」と言えるであろう。