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元セイントフォー/濱田のり子インタビュー~「節目の還暦“艶グラビア”あるかも!?」

濱田のり子
濱田のり子 (C)週刊実話Web

1987年の解散以来、34年が経過したセイントフォー。そのリードボーカルを務めた濱田のり子は、解散後セクシー路線を突き進み10冊以上の艶写真集と30本近くのイメージDVDを残した。2013年には元メンバー2人(岩間沙織、鈴木幸恵)とライブを開催、さらに18年には再結成して話題となった。近年は音楽活動に熱心な彼女だが、その後、セイントフォーの活動はどうなっているのか。そして2022年のセクシー路線の行方は? 気になるところを聞いた。

――再結成から3年、セイントフォーの活動はどうなっていますか?

濱田 実は、コロナ禍もあって休止中なんです。3人で会うことさえ難しいですし、ライブなんてとてもとても…。沙織は介護の仕事もしているのですが、デビュー当時からパワフルで元気の塊だった彼女が「疲れた」と弱音を吐くくらいですからね。結局、3人揃ってのライブは4回くらいしかできませんでした。

――再結成ライブに集まってきたのは往年のファンばかりですか?

濱田 いいえ、そうでもないんです。新しいファンもいて、20代の女性とかはYouTube動画で知ってくれたそうで「歌いながら宙返りとかすごい、一生懸命さに感銘を受けました」と言ってくださいます。とても熱烈に応援してくださるのが嬉しいですね。

――確かに、セイントフォーといえばアクロバティックな動きが印象的でした。

濱田 私が一番の運動音痴でしたね。体育の成績は「2」だったのに、レオタードを着てひたすら後方宙返りの練習ばかり。膝に水が溜まるなどケガだらけでした。そういうレッスンに明け暮れて、デビューするまで2年もかかっているんですよ。

――すごい! 再結成のライブ映像を見ても、往時のままの激しい動きでした。

濱田 後方宙返りはしませんし、レオタードも着ませんでしたけどね(笑)。

基本的にカメラマンさんと2人きり…

セイントフォーは1984年にデビュー。今で言うメディアミックスの先駆けとして主演映画『ザ・オーディション』の製作費などと合わせて40億円の売り出し予算を注入されたことでも話題となった。解散後、濱田は鈴木とセクシーアイドルユニット『ピンクジャガー』を結成している。

――今でもスタイルは抜群。何をして鍛えているんでしょう?

濱田 週4でボクササイズに通っています。すごく体力を使うので、毎回サンドバッグに抱き着いて倒れ込むくらいヘトヘト。でも、若いインストラクターの方が「ナイスファイト!」とか言ってくれるから、イイ気になっちゃうんですよね。

――リングに立つとか、プロライセンスを取る気は?

濱田 それはないです。だって、若い女の子はビキニ水着みたいな衣装でやってる子もいますけど、私は地味~にTシャツ&短パンですから。恥ずかしくて形からは入れない主義なんです。

――初めての艶写真集は95年の発売でした。スリムなボディーなのにメリハリがあり、何よりも肌が白くて美しかった。ちょうど30歳だったんですね。

濱田 ずっと音楽をやってきて、30歳を機に女優としても頑張ってみようというタイミングでした。立て続けにオファーをいただいて、「よし、やろう」ってなったんです。撮り終えてみると、写真の世界って本当に奥深い。カメラマンによっても違うし、「これも私?」という発見があります。毎回ワクワクしていましたね。

――被写体になる時のこだわりはあったんですか?

濱田 私、基本的にカメラマンさんと2人きりにしてもらうんです。素の自分を見せたいというか、恋人同士で撮るような写真にしたいから。どう動くか分からない私の「瞬間」をとらえて欲しいんですよね。なので、カメラマンさんの指示でポーズを作るということは全くなかったです。それをいいと思って買ってくださる方、評価してくださる方がいたから十何冊も続いたんだと思います。今でもそれは誇りですね。

ファイナルという形で…もしかしたら

濱田のり子
濱田のり子 (C)週刊実話Web

――オファーがあればまた脱いでくれますか?

濱田 実は、つい先日も2つオファーがあったんです。とても著名なカメラマンさんが直々にお話をくださったり、やったことのないデジタル写真集のお話もありました。いまだに依頼があるのは本当に嬉しいことですけど、お断りすることになると思います。

――それはとても残念…。

濱田 今は音楽に没頭しようと決めているんです。自分で作詞作曲したのが4曲あり、後藤次利さんにいただいた曲に詞をつけたのを合わせると計8曲のオリジナルがあります。昨年から始めた私のYouTube『ちゃんねるのりのりのりこ』では、その曲の一部も歌っているんですよ。来年にはソロライブを開催し、アルバムも作りたいなと思っています。

――ということは、その活動が納得できるものになったらいよいよ…。

濱田 そうですねぇ。30歳で初めてすべてをお披露目し、間もなく節目の60歳。それまで体型が維持できていたら、見納めというかファイナルという形で…もしかしたらあるかもしれませんね。

――切に期待しています! ところで多くのイメージDVDやVシネマ、映画にも出ていますが、一番印象に残る作品は何でしょう?

濱田 それはもう、『花と蛇ZERO』(14年、団鬼六原作。東映ビデオ)しかないですよ。本当に大変だったんですから。主役は私と天乃舞衣子さん、桜木梨奈さんの3人でしたが、みーんなアザだらけ。撮影中に4キロも体重が減ったのは初めての経験でした。

――貞淑な妻が夫の借金でSMショーに出ざるを得なくなる…という設定でした。

濱田 足首をガッと縛られて、俳優さんが私のことをムチで叩いてくるんですけど、まー痛い(笑)。顔や耳にも容赦なく当たってくるし、あまりの痛さに本気の涙を流していると、監督が「放尿するんだよ」って。舌の上にロウも垂らされました。「熱くないロウだから」って、そんなのウソ。気合で乗り切りましたけど、本当に過酷でした。

――プライベートでもSMプレイをしてみたい…なんて、とても思えなかったわけですね。

濱田 ないです、ないです。でも、SMって精神的なものでしょ? 人間はどちらかに分かれるって言うじゃないですか。じゃあ私はMなんだなぁと思いましたね。だって、あの痛みに耐えられちゃったんだから(笑)。

濱田のり子◆はまだのりこ 1965年2月22日生まれ。映画『幕が下りたら会いましょう』(松井玲奈主演)が公開中。杉浦幸とのインターネットラジオ番組『超いいネ~!』がオンエア中。
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