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お笑いタレント・明石家さんま“柔軟かつ緻密な打法”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

明石家さんま
明石家さんま (C)週刊実話Web

明石家さんまについて、かつてビートたけしが「こいつには負けた、と思った数少ない中の1人」と評していた。

後輩のナインティナイン・岡村隆史も「この人を超えるのは誰にも不可能。死を待つしかない」と語っている。

確かに、さんまは現代を代表するトップスターであるが、若手時代には辛酸をなめることも多かった。

1976年1月、まだ一介の若手だったさんまは、よみうりテレビ制作の『11PM』(大阪イレブン)に出演。その内容は20歳を迎える上方落語家をスタジオに集めて、トークする企画「20歳の性熟度ピンクテスト」で、これがさんまのテレビ初出演であった。

さんまの出演が決まった際、師匠の笑福亭松之助は「人と同じことをして売れるはずはない」と、着物ではなく「赤いブレザーを着ていけ」と指示。本番当日、さんまは忠告に従って営業用の赤いブレザーで放送に臨み、大いに目立って存在をアピールした。

進行役の海原千里(上沼恵美子)による「性の四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に、さんまは手を上げ「逆さ十文字落としでぇ~す」と答えて技を説明。スタジオ内の大爆笑をさらった。

しかし、司会を務めていた小説家の藤本義一は「さんまかいわしか知らんけどな、テレビで言うていいことと悪いことがあるんや。それくらい覚えて出てこい」と、生放送中にもかかわらず叱責。ちなみに藤本は、演芸番組に審査員として起用されることが多く、芸人を容赦なく酷評することで有名だった。

座右の銘“生きているだけで丸儲け”

さんまの初期の鉄板ネタには当時の巨人のエース、小林繁の形態模写があった。細身という共通点があるためか、小林独特のサイドスローからの投球フォームを披露したところ、それが客にウケ、さんまの知名度も徐々に高まった。さらに79年1月、江川卓とのトレードで小林が阪神に移籍すると、さんまの形態模写も再び注目を浴びて、関西を中心にアイドル的な人気を博すようになった。

また、さんまの活躍は桂三枝(現・桂文枝)の目に留まり、毎日放送の人気番組『ヤングおー!おー!』のレギュラーに抜擢され、同時に東京での番組出演も増えていった。80年代に入ると、ピンのお笑い芸人にもかかわらず漫才ブームの波に乗り、それが『笑ってる場合ですよ!』『オレたちひょうきん族』(共にフジテレビ系)への出演につながっていく。

口八丁手八丁のさんまだが、背筋の凍る思いをしたこともある。85年8月12日、さんまは『MBSヤングタウン』出演のため、羽田発伊丹行きの日本航空123便に搭乗する予定だった。しかし、搭乗前の番組収録が予定より早く終わり、全日空機に振り替えたために墜落事故を免れたという。

同日放送の『ヤングタウン』でも、さんまは「いつも使っている便やから」と動揺を隠せず、この後は東京―大阪間の移動などは新幹線を利用するようになった。この経験を元に生まれたのが、〝生きているだけで丸儲け〟という座右の銘である。

さんまは86年7月のドラマ『男女7人夏物語』(TBS系)、その続編である87年10月の『男女7人秋物語』(同系)に主演し、いずれも最高視聴率30%を超えたことで、名実ともに国民的スターとなる。

以降の活躍は読者の皆様も、ご存じの通り。70年代後半から現在まで、芸能界の第一線で活躍を続けているさんまには、ただ感服するしかない。

チャンス手を生かす積極策

ちょうどこの頃、さんまと卓を囲み、翌日に牌譜を分析したところ、感心した局面があった。東場3局、親のさんまが7巡目に四索を引いてきた場面だが、さて、ここで何を切るべきだろうか?

東場3局 東家(さんま)7巡目 ドラ八萬

【三萬、四萬、五萬、五萬、六萬、七萬、七萬、三筒、五筒、六筒、七筒、三索、五索】ツモ四索

典型的なタンヤオ、ピンフ手。ドラ牌(八萬)こそないが、三四五の三色が見えている。待ちの広さを考えれば七萬切り。三色を狙うのであれば五萬と六萬を整理していけばいいが、カンチャンを嫌って打三筒とするのが最悪手である。これではピンズの受けの形が悪くなり、マイナス面のほうが大きい。

麻雀のセンスを試される〝次の一手〟に、さんまは打五萬を選択した。チャンス手を生かそうという積極策で、私もこの状況なら同じような選択をしたと思う。ただし、五萬より先に六萬を捨てるのはよくない。なぜなら、ドラの八萬を先に持ってきた時には、三色にこだわらず七萬切りとするのが得策で、さんまは緻密で柔軟な戦法を選んだことになる。

おそらく同じ質問を麻雀好きに出題した場合、打七萬と答える人が一番多いかもしれない。待ちの広さとスピードという点から間違いとは言い切れないが、まだ中盤に入ったばかりの7巡目であり、満貫(あるいはハネ満)和了の好機をつかもうとする打五萬が最善手ではある。実戦でも2巡後、四筒を引いたさんまが即リーチと出た。

格言にいわく〝カンチャンを引いてきてのリャンメン待ち〟は即リーチとある。落ち着かないイメージのさんまだが麻雀は別。その打法を分析してみたが、すべてにおいて一級品の打ち手と言えるのだ。

(文中敬称略)

明石家さんま(あかしや・さんま)
1955(昭和30)年7月1日生まれ。奈良県奈良市出身。高校卒業後、落語家を目指して笑福亭松之助に入門。笑福亭さんまの名前でデビューするが、お笑いタレントに転向。以後は国民的スターとして活躍を続ける。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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